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NIGHTMARES

 

 

第一夜  きみのなまえ 

 私は、宇宙飛行士です。

 太陽系から遠く離れた星系で、人類未踏の小惑星を探査するという任務についていました。

 そして宇宙服をつけて、クレーターだらけで荒涼とした固い地面の上にクルー数名と降り立ちました。

 狭い宇宙船の中、変わり映えのしないメンバーの顔とモニターに向き合っていると、こんな世界でも天国に思えます。

 

 私は本当は人が嫌いでした。

 人と四六時中顔を突き合わせているのは本当に苦痛でした。

 でもそれを隠し通して、厳しい訓練を経てやっとこの職を得、この任務につくことが出来たのです。

 文句は言えません。

 周囲に気取られてもいけません。

 私は国の名誉と、私の家族の誇りを背負って、ここに来たのですから。

 

 だけどやはり、我慢にも限界があるのです。

 個人行動は厳に慎まなければならないのですが、私は作業用パートナーや調査機器を積んだバギーから離れ、近くの恒星が微弱に照らす中、荒れた岩盤の上を歩いていました。

 

 300mほど離れたところで、私は奇妙なものを見つけました。

 子ども用のプールほどのクレーターのふちに凭せ掛けるように、なぜかクマのぬいぐるみに酷似した明るい茶色のもじゃもじゃしたものがちょこんと置いてあるのです。

 不思議なことに、体温もなく呼吸も脈動などもなく、でも生きている感じがします。

 地球から離れて、ホームシックや人嫌いやらで自分がおかしくなったのかと思いました。

 

 つぶらな目をしたそれに手を伸ばして触れようとした途端、はっきりした声が頭の中に聞こえました。

 とても可愛らしい声でした。

「ぼくのなまえは○○○。きみたちのいう『いきもの』ではないけど、『いきもの』でなくもない」

 驚きました。

 このくまのようなものが、鼓膜を介さず直接脳に話しかけてきたのですから。

「いのちもないし、こころもないよ」

 私は呆気にとられてしばらく口が利けませんでした。

「ここにずっといる。むかしから、これからも」

 この生き物だかそうでないのか微妙なものはそう言ったきり静かになりました。動いたりなどはできないようです。

 

 生物と無生物の区別は、地球上の物差しを当てはめて人間が作ったものです。

 だから広いこの宇宙で、人間が作った基準では無生物というくくりに入ってしまうのに確かに生きているというものがいても、全く不自然なことではないのです。

 

 私は辺りを見回しました。

 周囲の状況から、計り知れないほどの年月を独りここで経てきたようでした。

 他に誰もいない星で、この一点に座って。

「私は、地球というところから来たんだ。ここに何かいいものがないかなって探しに」

 一応話しかけてみましたが、もう無反応でした。

 私のことを知りたいわけではなく、ただ自分のことを話したかっただけなのかもしれません。

 

 これを一緒に探査している同僚たちに見せると、情緒もくそもなく

「捕獲!! 標本採取!!」

となりそうな気がしました。

 それは、○○○に対するのみならず、宇宙の秩序や、自分の中にある倫理の冒涜に思われました。

 私はこの不思議なものとちょっと握手して、結構な重量感があることに驚きながら

「会えてうれしいけど、もう行くよ。元気でね」

と言ってそばを離れ、探査作業へ戻りました。

 幸い○○○は誰にも見つからず、作業はさくさくと進んで私たちは2時間の滞在の後、地球への帰還の途につきました。

 

 その星を離れるとき、モニターで外を眺めながら

「ああ、○○○は一人であの星にい続けるんだな。私が死んだ後もずっと」

と思うと何だかひどく寂しくなりました。

 きっと○○○は寂しいという感情も何もないのでしょうが。

 

****************************

 そして、私は何ごともなく地球へ帰り、3年ほど宇宙飛行士を続けたあと地上勤務となって今も宇宙を眺めつづけています。

 

 あのとき、○○○に当てはまる言葉は、はっきり聞こえました。

 この夢を見てから10年以上たった今でもその名前を覚えています。

 しかし誰にも教えるべきではない気がするのです。

 

 今でも私は、夜空を見上げるたびに

「○○○がいる星は、本当にあるのかもしれない」

と思います。


 

            <了>

第二夜  雑木林の一軒家

 僕は、19歳の平凡な大学生です。
 父方の祖母と、母と私の三人暮らしの実家住まいです。
 父は僕が幼いときに、父方の祖父は一カ月ほど前に他界しました。
 父方の祖父とは、同じ屋根の下に住んでいながらあまり話したこともなく、他界したときも「ちょっとさびしいな」くらいの気持ちでした。
 祖母は、祖父の後妻で僕や僕の父とは血がつながっていないのですが天然ぼけというか、ほんわかのんびりとした優しい人です。母は明るくてにぎやかな性格でしたが父亡き後働きづめで疲れている様子でした。
 
 そのころ僕は中型のバイク免許をとりたてで、とにかくバイクに乗って遠くに行きたくてたまりませんでした。
 そして、多分土地登記・相続の書類を見て、隣の某県の山中に祖父が土地・家屋を持っていたことを知ったのです。
 祖父の遺品の中からその家の鍵も発見。
 祖母や母に聞いても「私は行ったことない。多分荒れ放題だと思う」というばかり。
 これを幸い、「じゃあ、遺族代表として俺がちょっと見てきてやるよ!」と意気込んで提案しました。
 そのとき、ふっと母が考え込んだような顔をして言いました。
「そういえばおじいちゃんが、『この家には行くな。もしどうしても行かないといけないことがあれば奥の間には入るな』って言ってた」
 祖母も
「そういえばおじいちゃんに、この土地のこと聞いてみたら、怖い顔で『この土地のことは忘れろ』って言われたわ」
 そして二人は、
「きっとぼろぼろで床が抜けてるのね~」
「きっと手入れに金がかかるからかしら~」
と談笑。
 ここでやめておけばよかったのですが、どうしても行かなければ、とそのときなぜか思ってしまったのです。
 あとから思えば、何かに呼ばれたのかもしれません。
 
 地図を片手にバイクをとばし、行ってみるともうすごい山の中。
 昼なお暗い林の中です。
 あたりに人家もなく舗装されていない山道を愛車で行くのは気が引けたため、適当なところで停めて、あとは歩きました。
 そして、祖父の持っていたという家を見つけました。
 
 デザインとしては戦後すぐくらいのいかにも昭和な感じの造りです。
 落ち葉がたんまり積もっていましたが意外ときれいというか、少し手を入れれば住めそうな感じの木造住宅でした。
 ガラスが嵌った引き戸の玄関を開けると、下駄箱の上になぜか祖父の遺影が飾ってあり、きれいな水がガラスのコップに入れて供えられていました。
「??? だれかここに来たのかな?」
とちょっと不気味に思いました。
 その家に上がるとき、なぜか靴を脱いではいけない気がしました。
 入るなら靴のままじゃないとだめだ!という直感のようなもの。
 それは正しかったようで、廊下や水周りにはガラスの破片などが落ちていました。
 
 そして、奥に入るにつれなんだかいやな感じがして首の後ろあたりがぞわぞわしてきました。
 あの意気込みは何だったのか、もう一人でここに来てしまったことを激しく後悔していました。
 そして、いつのまにか自分がこの家の最深部、奥の間に踏み込んでしまっていることに気がつきました。
 奥の間は、何もない和室でした。
 仏壇やお札なども何もない部屋。
 でも、10cmほど押し入れの襖が開いていて、長持ちのような大きな箱が見えました。
 その箱を見た後、ふと部屋の中央を見ると、身長が140cmほどの人の形をした何かが立っていました。
 白くふやけて膨れた水死体のような何かが。
 そして床を通りぬけて、もう一体、同じようなものが立ち上がろうとしていました。
 そしてこちらに近寄ってきました。
 まるで機械仕掛けの人形のように。
 
 そのとき、「見るな! 逃げろ」という声が耳元でしました。
 そして、唐突に誰かが後ろに立っていることに気づきました。
 影のようなもの。でも悪意のようなものは感じない。
 でも怖いものは怖いです。
 恐慌状態の中やっと立ち上がり、部屋の襖を倒しながら転がるようにその部屋から出ると、襖で仕切られたもう一つの部屋に出ました。
 振り向くと白く膨れた死体のようなもの2体もついてこようとします。
 そして、それは部屋の敷居をまたぎました。
 
 怖すぎるときは、声帯が痙攣したようになって声も出ないもので、僕はそれをただ見ていました。
 
 ところが、その気味の悪いものは敷居をまたいだところにある畳の上まで来て、その縁でピタッと止まりました。
 そこまでしか動けないようです。
 そして、同じ部屋の中にいる私を知覚できなくなったようでのろのろと顔を左右に動かして探しています。
 髪の毛もまばらで膨れ上がった瞼、目や鼻、耳、全身の穴という穴から何か腐った汁を垂らした何か。
 
 すると、またあの祖父と思われる影の声が頭の中でしました。

「あれを見てしまったら、あと7日で連れて行かれる」

 それを聞いてまたパニックに。

「7日……」
 
 これは悪い夢、何が何でもこの家を早く出たい、家に帰りたいと思いました。
 
 腰が抜けそうになりながら逃げようとしていると、玄関を入ってすぐ左にある部屋の押し入れがガタガタガタガタと激しく揺れ出しました。
 もういやだ、俺は帰るんだ、と目をそむけて早く出ようとすると祖父の声が強い口調で言いました。

「生きたいなら、あれを開けろ」

 勇を鼓して、その部屋に入ると、半透明の、長い髪をふりみだした中年の女性が部屋の中でぐるぐると這いまわっていました。
 そして閉まっている襖を通り抜けて、押し入れの中へ入っていくのが一瞬見えました。
 セーターとスカートを身につけ、ごく普通の主婦のようでした。服装だけは。
 
 心臓がばくばく動くのを感じながら、助かりたい一心で押し入れの前に立ちゆっくり開けると、淀んでざわざわした空気が急に静かになったというか、周りの空気がしーんと鎮まった感じです。
 押し入れの上の段には、古い衣装ケースや布団が入っていました。

「下の段。頭を壊せ」

という声がまたしたので、屈んで見てみるとさっき見た中年女性と思しき遺体がミイラ化していました。

「わああああああああああああ」

 再度恐慌状態になり、後ろに倒れ込みながら

「なんだよ! なんなんだよ!!」

と何度も喚きました。

「助かりたければ、頭を壊せ」

と何度も祖父の声が響き、、もう半狂乱になって

「頭だな? 頭を壊せば助かるんだな?!」

と……

 人間の遺体の頭部を粉々に損壊するのは気分の悪いものです。
 あの手触りは、思い出して口に上らせるだけでこの手が腐れ落ちるような気になります。

 終わって正気に戻った時、辺りにはぼろぼろのカルシウムの屑や朽ちた髪が散乱していました。
 あの、白く膨れた水死体ゾンビを奥の間に呼んだのはこのミイラの女性なんでしょうか?
 祖父には祖母の前に前妻がいて離婚したと聞いていたのですが、このことと関係があったのでしょうか???
 
 もうとにかく帰りたくて帰りたくて、やっとの思いで玄関にたどり着くと、入るときに見た祖父の遺影の額のガラスが細かくひび割れて、コップが倒れて水がこぼれていました。
 玄関の引き戸に嵌められたガラスをみると外はもう夕暮れで、もうすぐ夜、真っ暗になるということを思うとまた恐怖を覚えました。
 
 そのとき、また声がしました。
 声の方を見ると黒い人の形の影がすぐ近くに立っていました。
「帰りに必ず○○神社へ行け。ここへは二度と来るな。次来たときには死ぬ」
 そしてその影は、家の奥へ動いていきました。最後に
「すまない……」
とつぶやくような声を聞いたように思います。
 それを聞いて、祖父は成仏せずここに留まり続けるつもりで、何かに対し償いをしていくつもりなんだと思いました。
 その償いとは、この家に残っている誰かへのものか、遺された後妻である祖母や母、僕に対するものかそれはよくわかりませんでした。
 
 何とかバイクに乗って、どうやって行ったのか覚えていませんが○○神社というところへ行きました。
 霧がかかった山間の、そんなに大きくはない神社で、宮司さんが一人掃除をしていました。
 その人に今までのことをすべて話したところ、普通のホラー話なら、頼りがいのある神主が「君には悪霊が……云々」とかっこよく祓ってくれるのでしょうがその人はめんどくさそうな顔をして、ちょっと変わった形のお守りをくれました。
 そして普通にお賽銭をあげて柏手うってお参りして終わり。
 お払いもご祈祷もなく、これで自分は助かるんだろうか、と不安になりましたが、もうへとへとで、とにかく家に戻ろうと思いました。
 ところが、家が近づいてきたところで、急に怖くなりました。
 自分は、何かを連れて帰ってきてるかもしれません……自分の家に怖いものを入れるわけにはいきません。
 7日間が過ぎるまで、家に入るのはやめようと思い、一人暮らしの友人のアパートを転々として8日が過ぎてから家に戻りました。
 しばらく魂が抜けたようになり、ひと月ほど大学にも行けませんでしたがなんとか今はちゃんと通学し、普通にふるまえています。
 あのときのことは、わからないことがまだまだ多いのですが知るのが恐ろしく、もう考えないことにしました。

 知ったら、あれが自分を探しだし、目の前に現れるような気がして。

    <了>

第三夜 「!」標識のある山道

「その他の危険」という交通標識をご存知でしょうか?
 黄色のひし形に「!」のマークがついたもの。
 なんで具体的な危険性を提示していないのかというと、人間の常識では考えられないような事故頻発、とか、ありえないものをそのスポットで目撃した人多数とか、そういう場所にあるのだそうです。
 要するにオカルト的にヤバくて交通に支障をきたしやすい場所ということです。
 
 ある夜、私は実家の母と妹2人を乗せてうねうねとした山道を車で走っていました。
 広島と島根の県境辺り、中国山地の見通しの悪い道です。
 そして、私たちは秘湯と呼ばれる山奥の温泉に向かっていて車の中で他愛ない会話をしていました。
 
 私の車にはカーナビがありません。
 高速道路を降りたあと車で1時間近く山の中を走っていたのですが、まったく目的地に着く気配がありません。
 
 人家も全くなく、薄暗い道路灯がしょんぼりと路面を照らすだけのうっそうとした山林の中をずっと走っているうち、
「迷ったかも?」
と私は思い始めました。
 
 すると、車ががたがたっと妙な揺れ方をしたかと思うとエンストしてしまいました。
 なんとか路肩に寄せるのには間に合ったのですがそこはものすごい山奥、目の前にあるのは無人のどこへつながるともわからない道路。
 心細く思ったのですが、みんな努めて明るくしゃべってました。
 空元気を出して、みんなお互いを気遣ってるのがよくわかりました。
 
 そして、私が
「この先のカーブ、見晴らしがよさそうだから明かりかなんか見えんか
ちょっと見てくるね」
とそこを離れて、右曲りのカーブを見に行ったところ
 
 あったんですよ、例の標識が。
 枯れたつる草が絡み付いて、完膚なきまでにさびたのが薄暗い灯りに照らされて。
 
 私はまずい、と思い、車のところにいる母と妹たちのところへ戻ろうとしました。
 
 そして、その標識の脇にあったカーブミラーが目に入ってしまいました。
 私は立ちすくんだ後、足をがくがくさせながら母と妹たちのところに戻りました。
 そして、安全なところに着くまで、いや、この旅行が無事終わるまで、見たことを絶対に話してはいけないと思いました。
 
 カーブミラーに映っていたのは、人影やらなんやらでなく真っ黒な不気味な渦でした。
 稲妻が光を折れ曲がったとげ状に走らせるように、真っ黒い何かが時折スパークしていました。生きてうごめく黒いイバラの棘のようでした。
 私は、見てはいけないものを見てしまった。
 見てしまったことをその棘に気取られてはいけない。
 そう、本能的に感じました。
 
 心の中で、他界した父を何度も呼んで
「たすけて!」
と念じながら、車にもう一度乗り込んでエンジンをかけたら何とかかかって……

そこで目が覚めました。
目が覚めて、本当によかったです。

    

         <了>

 

 

 

第四夜  四

 ここは行政法上は「町」ですが、のんびりとした農村です。
 田んぼや畑が広がり、トラクターが道路を走り、子どもたちが農業用水路でザリガニ取りをして遊ぶような、一昔前の日本の光景がここにはあります。

 私はこの町で、個人所有の家屋を主に扱う建築設計事務所を営んでいます。
 と言っても開業は最近で、事務所は実家の庭先に建てたプレハブです。
 いつも閑古鳥が鳴いているので、普段は同業者のところや解体業の職人さん方や大工さん方の下でバイトをしているような状態です。

 私の事務所は古民家の移築・改築・引き家についてはこの町では一番のノウハウを持っているのが売りでした。
 東京で専門知識を学んだ頃は古い農家の造りの良さを後世に残したいと気負い、多くの現場を見て、触れて、研修を積んできました。
 この農村でも多くの何百年も経った住まいが未だ使われ続けていますが、やはり若い世代の方と同居したり、あるいは介護が必要になったりしてモダンな住みよさを追求したリフォームやバリアフリー工事を施すことが多くなり、時には完全に建て替えてしまう方もいます。
 残念ではありますが、実際に住む方の勝手がよいのが一番ですので、時代の流れには逆らえません。
 これまで請け負った中ですと、都会から移住してきた方の依頼でほとんど廃屋同然だった家屋を古民家カフェやグリーンツーリズム用民泊施設へリノベーションしたときはやりがいを感じました……その法人営業がうまくいったかどうかはともかく。

 

 さて、この町には大きな庄屋さんのお屋敷がありました。
 庄屋と言っても、小藩の|家老屋敷ほどのなかなか立派な造りです。
 お屋敷は手入れが行き届かずに荒れ放題になってはいましたが漆喰の壁や見事な瓦に往年の美しさは見てとれました。
 なまこ壁の蔵も三つほど敷地内に立っていてかなり羽振りがよかったようです。
 郷土史によると、江戸期の大飢饉があった頃、栄養不足で抵抗力がやはり落ちてしまったのか、疫病が大流行し多くの人々が亡くなったと言います。その頃からこの庄屋さんは親を亡くした孤児や捨て子をこの広い屋敷に集め、養育していたそうです。
 そのうち、近所の貧民の子どもたちも行儀見習いというか寺子屋というか、日中預かったりもするようになり周囲からは神か仏かとありがたがられていたとのことでした。
 そして子どもたちは大きくなると、そのままこの村で小作農として暮らす者もいましたがたいてい他の村や町へ仕事を求めて出ていくのでした。
 それは明治初期まで続いていたと記録されています。

 そんな歴史を持つこの屋敷に、一族の末裔であるお爺さんが最近まで一人で住んでいました。
 だいぶ高齢で足も悪く、デイサービスやハウスキーパーを利用して何とか暮らせていたようですが、二年ほど前に亡くなり、東京で会社勤めをしているお孫さんが相続したと聞いています。
 ところが、相続した若いお孫さんはこのお屋敷に興味がないらしくまったく寄り付きません。
 この屋敷には歴史的価値がある、ということで町の教育委員会の文化財担当職員が町議や副町長を引き連れて町の文化財指定の打診に行ったらしいのですが、
「あの家は要りません。取り壊します」
の一辺倒だったようです。

「買い取らせてほしい」
「費用は町で持つので、郷土歴史資料館としてせめて移築させてほしい」

という話も出たのですが、なぜかお孫さんは理由も言わずにかんかんに怒り出し、けんもほろろに

「あの家は 壊して土地も売ります! 金を出すならあんたたちがその更地を買えばいいでしょう」

と言い出してしまい、とうとう解体業者と契約して取り壊しの期日まで決めてしまいました。
 その話を知人の町教委文化財担当者に愚痴られたとき、私はつい言ってしまいました。

「私がその場にいたら、いろんな事例とか紹介して取り壊しは回避できたかもしれないのに」
「いやそれがさ……」

 彼はぶすっと言いました。

「なんか異常なくらいこっちの話聞こうとしなくて、『壊す』『売る』一辺倒なんだ」
「町の予算で買いあげたらいいのに」
「そうも言ったんだけど耳を貸さないんだよ」

 経年に穏やかにくすんだ檜の柱や梁、凛とした佇まいのあの屋敷が消えてしまうのが、私も残念でなりませんでした。

 庄屋屋敷の取り壊しの日がとうとうやってきました。
 雨は降ってはいませんが、厚く雲がかかったとても暗い日でした。

 私はこの件に関係のない全くの第三者でしたが、素晴らしい建築物が消えていくことが惜しく、せめて取り壊しの時に見える構造だけでも撮りたいと思って記録機器を持って現場へ出かけていきました。

 現場につくと、既に見事な檜造りの門は壊されて数台のトラックが敷地に入り、取り外されたガラスやサッシ、台所のシンクやトイレの便器などの水回り品が分別されて積みあげられていました。
 やはり、暮らしやすさは大切だったようで、ちょこちょことリフォームはしていたのでしょう。

 今回現場に入っているのは顔見知りの業者で、少し話を聞いてみたところ、この邸の持ち主は、最低限の分別解体後は仏壇を含む家財もろともミンチ解体、平たく言えばぐちゃぐちゃに重機で壊す解体方法を強く希望して契約しているとのことでした。
 仏壇まで、というと大抵の業者は嫌がりますし、ミンチ解体の方が工費は高くつくのですが、余程その屋敷のものが残るのが嫌なのでしょう、言い値で払うということで請けたそうです。
 若い人はこういうところが本当にドライというか無関心というか……そういう言葉だけでは片付かない何かも感じましたが、そこは私には口出しのできないことです。
 せめて古材を大事に扱って欲しかったなあとため息が出ました。

 作業は進んでいきます。
 さすがに部外者を立ち入らせてはくれなかったのですが、敷地の外から撮るぶんには構わないと言うのでとりあえず私は壊された門のあたりから外観を撮っていました。
 今度は畳が外されて、何十枚も屋敷の奥から運ばれてきます。
 畳べりは色褪せて擦り切れ、白アリにやられているものもありました。
 私がそれを眺めていると、屋敷の奥から現場監督が慌てた様子で出てきました。
 彼一人ではなく、おそらくこの現場に入っている人員全てが彼の後に続きぞろぞろと出てきます。
 申し合わせたように、みな苦虫を噛み潰したような表情です。明らかに動揺して、少し怯えているようにも見えました。

 現場監督は、門のところにいる私に声をかけてきました。
「おい、あんた古民家専門だったよな」
「あ、はい」
「ちょっと内々で見てほしいもんがあるんだ」
「なんですか?」
「絶対役所の連中に知られちゃいかんやつだ。ちょっとどう扱えばいいかわからん」
 土中から明らかに文化財に相当するようなものを掘りだしてしまうと、教育委員会が発掘調査を終了するまで工事はストップします。
 さらに、多数遺物が出土してしまうと遺跡認定され、ここは売買も工事もままならない土地になってしまいます。
 だから、そういうものが見つかった場合こっそり埋め戻してしまうこともあるのです。
 まずいものが出てきたときどう始末すればいいかくらい彼が知らないわけはありません。
 経験豊かなはずの彼のこの困惑。
 何かよほど困ったものでも出たのだろうと、私は案内する彼について行きました。

 案内に従って薄暗い庭を回っていくと、屋敷の一番奥に8畳ほどある居間のような部屋がありました。畳が剥がれ、普通は工程の終わりの方で壊す床板や根太(ねだ)も取り払ってありました。
「なんで床と根太、先にやっちゃったんですか?」
「腐ってたんだよ……そんなことより」
 彼は心底困った顔をしてみせました。
「床下をよく見てくれ。……なんか、あるだろ」
 LEDライトを手渡され、剝き出しになっているその部屋の床下を見て、私は言葉を失くしました。

 骨です。
 人間の、10歳位の大きさの子どもの骨でした。
 とても古いもののようです。
 一人や二人分ではありません。

 突き固められた土と砂利の上、この部屋の壁に沿うように、膝を抱えた胎児の姿勢で横倒しになった子どもの骨が50センチ程度の間隔を置いてぐるりと並んでいます。
 そして、四方を囲む骨だけでなく、部屋の奥の壁の三等分した右側の点あたりから部屋の中心へ向かい、それから弧を描くように右の壁へと数人の骨。
 玄関から部屋の奥を向いて立ったとき、「四」の字から四角の中の「ノ」の部分を除いたように並べられていました。
 おそらく十数人分の骨があったと思います。
 丸い頭蓋骨が、暗い中で白っぽく見えました。

「これ、なんですか?」
「知らん……施主に電話しても知らんと言われた」
「やっぱり、教委に連絡した方がいいんじゃないですか……警察とかともうまく折衝してくれそうですし」
「でも施主が『見なかったことにしてくれ』だと」

 現場監督は困惑の極みでした。

「もう下のやつはこれ見てみんな逃げ腰で……あんたこういうの他んとこで見たことないか?」

 あるわけありませんでした。

「ちょっと外の空気吸って、仕切り直しましょうよ」

 拝み屋か坊主を呼ぶべきかとぶつぶつ言っている現場監督と連れだってそこを出て、とりあえず落ち着こうということになりました。

 私は霊感だとかそういうものは持っていないし、あの場所から不吉な感覚が立ち昇るとか寒気がするとかそういうものも全く感じませんでした。

 ただの土埃の匂いと、古い石置き家屋にある藁臭さ、それから妙に乾いた空気。

 その中で私が感じたのは、何が目的だかわかりませんが子どもの死体をこういうふうに並べた、当時生きていた人間の怖さでした。


   <了>

 

 

第五夜  天の虫

 わたしは小学校3年生です。
 特別可愛いわけでもないし頭がいいわけでもないし、とても普通の子です。
 お父さんとお母さんと小さな弟、お祖母ちゃんと一緒に住んでいます。

 わたしの住んでいるところは、住所は「町」となっていますが農家ばかりで、田んぼが広がっています。
 ちょっとだけアパートやマンションもありますが、クラスメイトの親のほとんどは農家か、農協や役場に勤めていて、親が都会で働いている間この村に住むお祖父ちゃんお祖母ちゃんに預けられているという子もいました。

 だから田舎の風習が残っていて、わたしや弟の下着の背中にはお祖母ちゃんが絹糸で印を付けます。
 ざくざくと並み縫いで卵型に縫い、その丸い形の下の方を少し縫い残したデザインです。
 女の子のわたしには赤、男の子の弟には緑。
 玉止めでないちょっと変わった結び方で縫い目を留めた後に、糸を15センチほど残して切ってあります。
 だから、時々服の襟から糸の端が出てくることがあります。クラスでも赤や緑の糸が襟足に覗いている子をときどき見ます。
 一度、じゃまっけなこの糸の端を切ってしまったことがありますが、お祖母ちゃんにひどく叱られ、縫い直されました。
 この印は、背守りというお守りなんだそうです。

 このへんに建っている家のほとんどは、昔のままの農家の造りです。
 田んぼを耕したり荷車を引かせたりするための牛や馬を飼う納屋が残っていたり、二階はお|蚕部屋《かいこべや》そのままになっていたりします。
 お蚕部屋というのは、蚕を飼うための部屋です。
 蚕は、桑の葉を食べます。
 だから、どの家も庭に桑の木を数本植えていましたし、大掛かりにやっている家は桑畑を持っています。その桑の木から枝を切り取ってお蚕部屋へ上げるのは子どもの仕事だったと祖母から聞きました。
 いまどき蚕を飼っている家はもうありませんが、今もその桑畑は実を取るために残っていて、村の産直販売所でも、都会の人がパックに詰めた生の桑の実や、ジャムや|桑の実酒《くわのみしゅ》を買っていきます。
 わたしの家の庭にも桑の木があって、たくさん黒っぽい実がなるのでときどきそのまま食べます。お母さんが桑の実を入れたケーキを焼いてくれたりすることもあります。

 ある秋の日、わたしが教科書やノートを机の中からランドセルへ移して帰る支度をしていると、休み時間によく遊ぶ子たちが三人ほどわたしの近くに集まってきました。

「ねえ、今日みんなで日詰くんちに遊びに行くんだけど、一緒に行かない?」

 日詰君というのはクラスの男子で、わたしと同じ班です。
 わたしと同じように目立たなくて、何ごともほどほどな子です。
 丸刈り頭でしたが、クラスの中ではほんのちょっとカッコいい方でした。
 休み時間になると、日詰君はよくいろんな子と遊んでいましたが、不思議と日詰君を「友達」とおおっぴらに認める子はいませんでした。
 田舎のつきあいが濃い中で、よそから引っ越してきたわけでもない家の子が友達がいないなんてちょっと変わっています。
 日詰君のお祖父さんがとても厳しい人らしく、お祖母さんを亡くしてからは特に癇癪を起こすようになって誰彼かまわず怒鳴るという噂を聞いたことがあるのでそのせいかもしれません。

 そういえば、わたしはお祖母ちゃんに聞かれたことがあります。

「日詰の子とはよく遊んだりする?」

「時々、お昼休みとかに遊ぶよ」

 お祖母ちゃんは苦いものを食べてしまったような顔をしました。

「その子、どんな子?」

「普通の子だよ」

「学校で遊ぶ分にはいいけど、日詰の家には遊びに行ったらいかんよ」

「え? なんで?」

「何ででもだよ」

 そこで、お祖母ちゃんの茶飲み友達がやってきたので話は終わりになってしまいました。
 なぜか、わたしのクラスメイト数名も、お祖父ちゃんお祖母ちゃんから「日詰の家の子」についてちょっと訊ねられたり、あまり遊ぶなと言われて理由を尋ねると言葉を濁されたりしていました。

 だからわたしはちょっとためらいました。

「日詰君ちじゃなくて公園とかじゃだめ? 今日いい天気だし外で遊ぼうよ」

 そこへ日詰君がぶらっとやってきて話に加わりました。

「うちで遊ぼうよ。うち、変わったもんいろいろあるよ」

「でも日詰君のお祖父ちゃん、怖いし……」

「今日、皆出かけてて俺一人なんだ。帰ってくるの6時くらいって言ってたから、それまでに帰れば怒られないよ」

 クラス委員をやっている子が言いました。

「わたしたちも行くんだし、行こうよ」

 ミンナナカヨク、という優等生的な押しつけがましさがあってこの子のことは少し苦手でした。
 しかし血縁の濃い田舎のこと、この子は父方の本家筋の娘なのです。親類づきあいのことなど考えると「いや」とは言いにくいのでした。

「……うん」

 日詰君の家は緩やかな山の斜面にあり、この校区でもかなり大きな古い家でした。
 普通斜面に家を建てるときは、整地して家一戸が入る平らな面を造りそこへ建てるはずなのですが、なぜかその家だけは斜面に合わせて家の方がひな壇のように造られています。
 元々の母屋だったところから、どんどん変な風に建て増しをしていったような感じです。

「こんな風な家って珍しいね」

と言うと

「うん、変だろ」

と日詰君はこともなげに答えました。

「どうしてこんな風に建ってるの?」

「さあ?」

「お蚕部屋を増やしたりしたんじゃない?」

「うち、お蚕部屋はないよ」

 それはこの近辺に古くからある家にしては珍しいことでしたが、みんな「ふーん」程度にしか思いませんでした。

 日詰家の庭の広い納屋には赤いトラクターが置かれ、その一角は金網で覆われた鶏小屋になっていて、赤い鶏がゆっくり歩いているのが見えました。
 わたしたちは日詰君に招かれるままに、玄関から上がりこみ、入り組んだ廊下を案内されて居間に通されました。
 わたしはずっときょろきょろしていましたが、変なもんがいろいろある、と日詰君は言っていたのに特に珍しいものはないように思いました。
 
 飴や麦茶を出されて一息ついた後、日詰君が言いました。

「かくれんぼやろう」

「えっ」

 初めて遊びに来た家で、かくれんぼは嫌だなと思いました。
 異様な外観や奇妙に分岐して曲がりくねった廊下を目にしてきて、みんなもためらいを感じているようでした。

「勝手にいろんなとこに入って隠れたらおうちの人に怒られるよ」

「これ持ってきたからみんなでやろうよ」

 お気に入りのボードゲームを持ってきた子が箱を振って見せ、みんなもそうしたいと言ったのですが、招き主の日詰君は人が変わったようにかくれんぼしたいと言い張りました。

「散らかしたり壊したりしなかったら大丈夫だって! ほんとに入ったらだめなとこには入れないようにしてあるからさ!」

 じゃあ、ということになり、しぶしぶみんなかくれんぼ用に気持ちを切り替えました。
 初回の鬼は当然日詰君です。
 日詰君が百まで数える声を聞きながら、わたしたちはこの奇妙な|古家《ふるや》の中でばらばらに散っていきました。

 わたしはできるだけ明るい、西日の当っている部屋へ隠れようと思いました。
 そう思った時点で、きっとわたしは何か薄暗いものをこの家に感じていたんだと思います。
 廊下を静かに歩いていくうち、友達の気配はみんな消えました。

 

――みんな隠れるの上手だなあ! わたしも早く隠れないと……

 

 いくつかの分岐の後、緩やかに上っている細い細い廊下を歩きながらそう思っているうち、人の気配でない何か変なものがこちらを見ているような気がしました。
 人じゃないならなんだろう、と思ったのですが、家畜のような、人間に使われる動物のような感じがします。
 なぜか藁と泥の匂いを強く感じはじめ、眩暈がして視界がぐらついてきました。
 風邪を引いて熱があるときと同じ感じです。
 でも、かくれんぼをしているときはどうあっても鬼に捕まりたくないものです。
 ちょうどそこにあった障子を開けてその部屋へ隠れることにしました。その障子は小さくて、まるでお茶室のにじり口のようです。
 屈んで入って振り向いて障子を閉め、部屋を見回してわたしは驚きました。

 部屋全体が真っ黒なのです。

 中央にある長火鉢や箪笥や衣桁や、窓枠、畳そして壁。
 何もかもが真っ黒に塗られています。
 漆やペンキではありません。
 何かを燃やした炭を、漆喰やにかわに混ぜて塗りこめてありました。

 真っ黒でないのは、衣桁に掛かっている藤色の羽織と西日を透かした古びた障子紙だけでした。
 この羽織は、日詰君の亡くなったお祖母さんが以前着て歩いているのを見たことがあります。
 ここはお祖母さんの部屋だったのでしょう。
 わたしは本当に嫌な気分になりました。
 怖いというのとは少し違います。
 その時点ではまだ、わたしはその感覚を自分自身にどう説明したものかわかっていませんでした。

 わたしが入ってきた障子とは別に、長火鉢の後ろに掛けられた真っ黒い掛け軸の右あたりに出入り口の障子があり、どこかへ繋がっているようです。
 とにかくここにいてはいけないと思い、ふらふらしながらそこを開けました。
 すると、かなり急勾配で上へ向かう通路が左へ伸びていました。
 人一人がやっと通れるほどの幅で天井も低く、明り取りの小窓があります。急な坂になっているので、|床には滑り止めに割り箸ほどの細い角材が規則的に打ちつけられています。
 
 この通路の先がどこへ繋がっているのか見上げようとしたときです。

 なぜか見てはいけない!と咄嗟に強く思いました。
 なぜそう思ったのかはわかりません。
 ただひどく土と藁の匂いがし、見てはいないのに何かたくさんの小さなものが寄り集まって一つのかたちを成して蠢き、音もないのにざわめいているのがわかりました。

 でもわたしが感じていたのは怖さとは少し違いました。
 例を挙げるなら、腐った生ごみの中に手を突っ込んでしまったような、魂というか、わたしが生きて今ここにいることが蝕まれるような不潔な感じでした。
 それはきっと、穢れ、という感覚だったのです。
 
 
 ふとその通路にある明り取りの小窓から、子どもの声が聞こえてきました。

 

――え?!

 

 窓の外を見ると、先ほど通ってきたこの家の前庭が見下ろせました。
 そこにいたのは一緒に来た友達です。
 みんなで連れだって帰ろうとしています。
 そして、日詰君がみんなを見送りに門のところへ出ていました。
 みんなもにこにこして手を振って、遠ざかっていきます。
 わたし一人を置いて。

 わたしは慌てて真っ黒な部屋へ戻り、このどこへ繋がっているかわからない通路に面した、不吉な障子を閉めました。
 そしてこのにじり口から出て、もと来た廊下を戻ろうと思ったのですが、にじり口の障子に手をかけた途端、わたしはへたり込んでしまいました。

 何か見たり聞いたりしたわけではありません。
 なぜだかぺたんとその場に座り込んでしまい、動けなくなりました。

重い手を動かして何とか障子は開けましたが、もうそこをくぐって廊下へは出られません。
 立てません。
 這えません。
 気力も体力も何かに吸い取られたような感じです。

 

――わたし、どうしちゃったんだろう

 

 帰ることが、ひどく億劫でやっかいなことに思えてきました。
 ここにずっといることが当たり前なのではないか、という気すらして、わたしは家で待っているお父さんやお母さん、お祖母ちゃん、弟のことを思って泣きそうになりました。

 

――おばあちゃんの言うことを聞けばよかった……

 

 そのとき、わたしは背中がじんわり熱くなっているのに気が付きました。
 優しい誰かの手が当たっているような、そんな熱さでした。
 祖母が縫ってくれた、あのお守りのあたりです。
 背中に守りの「目」として、「縫い目」を付けてくれたあの場所です。

 でも、立って歩ける力は出ません。
 背のぬくもりに励まされながら私は懸命に這い始めました。

 この背守りは馬蹄型、蹄のかたち。
 蚕の背にある黒い模様は馬の蹄のあと、という言い伝えをわたしも聞いたことがあります。
 その蚕の作る絹糸で縫われたひづめ型のお守りと日詰君の家。
 これがどういう関わりがあるのか、誰も何も教えてくれず、わたしには全くわかりませんでした。
 わからなくてもわかったとしても変わりなく、人の力ではどうしようもない不吉な何かがここにはいました。
 
 もうすぐ、日詰君がここへ来るはずです。
 あの目立たないクラスメイトは、きっとわたしの味方ではないのです。

 逃げなければ。
 ここから出なければ。


 

         <了>

​第六夜  ごめんね

 私たちは四人家族で、夫と私、それから小5と小2の娘たちがいます。

 夫は、普段よく話す方でした。
 他愛もないことで一人で盛り上がって、ネットで詳細情報を仕入れてきては辟易するくらいに披露したり、仕事の愚痴を深夜までくどくどしく語ったり。
 だから、夫婦としてのコミュニケーションは十分だったと思います。
 夫は娘たちにも甘く、ものを買い与えたり遊びに連れて行ったりというときだけいそいそと「優しいお父さん」の顔をしておいて、叱らなければいけないときは全部私に丸投げします。

「子どもたちに何か一言言ってやってよ! お父さんでしょ?!」

と言うと、まるで自分が叱られているかのような顔をしてぼそぼそとかたちだけ、娘たちを叱ります。
 でもさすがに男親、娘たちは普段から叱られ慣れている母親が言うよりもすぐにいうことを聞きました。

 とは言うものの、叱らなければならないことはまれでした。
 娘たちは二人とも少しのんびりしすぎているところはありますがやさしく真面目で、親の|欲目《よくめ》を除いてもとてもいい子でした。
 なぜ私たちみたいな親からこんなにいい子が生まれたんだろうと、夫と二人で何度|感嘆《かんたん》したことでしょうか。

 ところがある日……というよりある頃から夫が口を利かなくなりました。
 私だけでなく、あんなに可愛がっていた娘たちにもです。
 夫は仕事場から帰ってくるのがひどく遅くなり、食事を家で摂らなくなりました。
 家にいても暗い顔をして、部屋にぽつんと坐って、何かぶつぶつ呟いているのです。
 何がきっかけだか思い当たりません。
 明るく、時にはやさしく夫に話しかけても無視され、私だけが空回りしているような、嫌な雰囲気でした。
 でも、家族の要である私が頑張らないと間が持ちません。

 夜寝ているときになると、夫は一人でうなされています。
「どうして」
 寝汗を掻きながら、この言葉を何度も繰り返しています。
 声をかけて起こそうとしても全く起きないので、隣の布団から夫の手を握ると、眠ったまま涙を流します。
 こういうことがあれば、鈍い私でも何か大変なことがあったのだなと思います。
 受診を勧めたのですが、起きている間の夫は馬車馬のように働いて、帰宅後は私たちの方を見ようともせず寝るだけで、聞く耳を持ちません。
 娘たちは何ごとかを感じているのか、夫に近寄らなくなりました。
 かといって、こんなに邪険に扱うようになったお父さんを嫌いになったわけでもなく、以前どおり大好きな様子です。
 それがまた不憫でなりません。
 夫婦の間に嫌な雰囲気が流れていても私は空元気をだして、娘たちには明るく接するように努めていました。

 そして、夫の夏季休暇がやってきました。
 毎年、家族でお決まりのテーマパークへ行って、パーク内のホテルに泊まって美味しい食事を食べるのを楽しみにしていたのですが、今年はどうなるんだろう、とひやひやしていました。正直、憂鬱でなりません。
 ところが、です。
 いつも宿泊もチケットも私が手配するのですが、どんな風の吹き回しか、今年は夫が宿も入場チケットも予約しています。
 久しぶりに、夫が私の方を見てやさしい声で言いました。
「今年も、みんなで遊びに行こう」
 夫の視線は私を通り越して、虚空を見ているような気がしました。
 それでも私は嬉しく思いました。娘たちもはしゃいでいました。

 

 旅行に出発するその日、最近買った夫ご自慢の車に4人で乗りました。
 娘たちは後部座席でお喋りし、ジュースだのガムだのに騒いでいます。
 私は夫にあれこれと話しかけては、やはり夫が眉一つ動かさず暗い顔をして運転しているのを見て、落胆していました。

 数時間のドライブの後、まずホテルへチェックインです。
 もう夕刻に差し掛かっていました。
 私たちが腰を落ち着けたのは、去年泊った部屋と同じ部屋でした。
 4つのベッドが綺麗に調えられています。
 このホテルは食事が美味しいので夕食は夜の7時で予約していました。
 それまで少し間があります。
 娘たちは毎年来ている慣れのままにシャワーを浴びて、夕食の時間になったら起こして、と言ってベッドで寝てしまいました。
 夫はベッドに座ったまま、黙りこくってあらぬ方を見ています。
 きっと夫も娘も長時間のドライブで疲れたのでしょう。
 私もシャワーを浴びようと思って立ち上がったのですが、そのときごそごそと夫が動きました。
 ちょっとくたびれたボストンバッグから、ハンカチで包んだ平たいものを取りだし、じっと眺めています。

「何持ってきたの?」

と覗き込んだ時、私は悲鳴すら上げられずに凍りつきました。

 それは、4人で撮ったスナップ写真が入った小さな額でした。

 みんな幸せそうに笑っています。

 夫はそのガラスの表面を撫で、嗚咽を上げて涙を流しはじめました。

 そこで初めて、私は私の身体がないことに気が付きました。
 そして娘たちの身体も。
 
 娘たちの習い事の送迎中、私の小さな車が赤信号で停まっていたとき。

 スピードが緩まないままの大型トラックに追突されて押され、前に停まっていた車の後部が迫ってくる映像が目の前をよぎって消えました。

 思わずへたり込んだ瞬間、額に嵌ったガラスにひびが走りました。

「いるんだろ?! そこにいるんだろ?」

 夫が言いました。

「どうして俺だけ置いていくんだよ」

 それはとても悲しい声でした。
 あの冗談好きだった人がこんな声を出すなんて。

 私は床に額を擦りつけました。

「ごめん。子どもたちを守ってやれなくて本当にごめん」


      <了>

​第七夜  バスを降りる

 今日は他校との交流行事で、会場へ向かう貸切バスの中はお喋りに溢れていた。
 ジャージ姿のクラスメイトたちは、家族のことばかり話していた。
 朝、母親とけんかをして謝らないままだったこと。
 弟の漫画本を借りたままだったこと。
 今日のお弁当は、大好物ばかり入れてもらっていたこと。
 柄が悪くて話しかけるのも憚られるような連中までそんな話ばかりしている。

 友達がほとんどいない私はぽつねんと窓の外を見ていた。
 学校でも家でも変わり者と思われていたが、思われたままで構わない。
 道路脇の擁壁の上で、カジイチゴがつやつやした実をつけている。今日は一段ときれいに見えた。
 私は園芸が好きで、プランターにラズベリーの仲間を集めていた。園芸種だけでなくクサイチゴやフユイチゴも、里山で採ってきては大事にしている。だから、このカジイチゴの群生もいつか掘り取って庭に植えたいと思って、学校の行き帰り眺めていた。
 でも、いつかって、いつ来るのだろう。
  
 突然、バスが停まった。開いた扉から高齢の女性が一人乗った。
 そしてクラスメイトが一人降りた。
 バイバーイと手を降る彼女に、仲のいい子たちが窓越しに手を降る。
 発車しては幾度となく停まり、数人の様々な客が乗ってくる。一人で大丈夫なのか心配になるほど小さな幼児までいた。
 そして、入れ替わるようにクラスメイトが降りていく。
 また二人、今度は三人。

 朝、クラスのみんなと乗り込んだとき、このバスの内装は貸切仕様でカーペットが敷かれ、座席は青くなかっただろうか。
 今、乗っているこのバスは見慣れた路線バスのものだし、私たちの尻の下にある座席は赤い。
 やはりこれは路線バスなのだ。

 

 バスは田舎道を走り、私の家の前で停まった。
 母が吊るして干していた大根が見えた。
 クラスメイト達が一斉に私を見る。
 私は降りるべきなのだろうか。
 私は視線に促されるようにもそもそと開いたドアへと向かったが、本当にこのままこのステップを踏んで降りていいのかか躊躇し、左手にある運転席へ目をやった。
 運転手は、若いようで年取っているような、年齢がわからない男だった。
 彼は言った。
「ああ、何が起こったかわかっていないんだね」
「どういうことですか」
「とにかく降りなさい」
「なぜですか」
「あなたにも別れを言う時間が必要でしょ?」
 鈍い私も、とうとう一つの答えに行き当たった。
 不思議なほど、恐くも悲しくもなかった。
 運転手は優しく続けた。
「このバスは三日後ここを通る。またお乗りなさい」
「時刻は?」
「近づいてくればすぐわかるから大丈夫」
 納得できなかった。私は鈍い。気付かないことだってあると思う。
「もし乗らなかったらどうなりますか」
 そう言った途端、私の目の前が真っ暗になった。泥のような闇の中で何か、小さなものがいくつか光っていた。
 悪意はないが害意のある、人間の目だった。
 見るんじゃなかった。
 恐怖で声が出なくなった私の脚にぬめぬめとしたものが触れた。
「そうなるよ」
 運転手の声でそのビジョンはかき消えた。私は、バスのアイドリング音が響く降り口前でぼんやりしていた。

 私はバスを降りた。
 うちの車がない。みんな出払っているのだ。
 玄関へ向かって歩いていると、右目の視界がぬるりと真っ赤になった。

​            <了>

​​第八夜 くぐる ~REPLAY

 私は小学一年生のころ、田舎のこの町へ引っ越してきました。

 管理さえしていればただで貸してもらえる家をお父さんがネットで見つけて、そこに住むことになったのです。

 山に囲まれて、からっと晴れることがなくいつも曇っている町です。

 でも、お父さんもお母さんも面白くて優しくて、幼稚園に行っている弟とはけんかもするけど仲良しで、幸せでした。

 

 今、私は二年生です。

 でも学校に行ってはいません。

 私は引っ越してきてから、今までのことを覚えていないのです。

 覚えていない間に、お父さんもお母さんも弟もいなくなってしまいました。近所の人から、みんな死んだと聞いて、私はたくさん泣きました。

 最後に残っていたお父さんが死んでしまってから、私は普通の子に戻ったそうです。

 普通の子って何でしょう?

 近所の人も親戚のみんなも私には関わりたくないと言っています。

 たくさんたくさん泣いたので、もう怒ったり悲しくなったりするのはなくなって、そうなんだと思いました。

 

 なくなったのは家族だけではありません。

 家も消えてしまっっていました。

 ぼろぼろの「ブンカジュウタク」という家だったのですが、もう完全に取り壊されて、ぺったんこで石がゴロゴロした土地になっていました。更地、というのだそうです。

 その真ん中には小さな石のお人形の家みたいなのがありました。祠というもので触ってはいけないのだそうです。なぜかその横に、泥がいっぱいこびりついたお父さんの運転免許証が落ちていて、私はそれを大事にポケットに入れました。

 

 その家は、小さな裏山がありました。そこへ入る小さな道を塞いで家が建っていたのです。

 道といっても草や小さな木がいっぱいのジャングルみたいなところで、家があった頃はもちろん、更地になった今も登る人を見たことがありません。

 私は明日にはお寺の人に施設に連れていかれることになっています。最後だから登ってみよう、と私はその道へ入っていきました。

 

 裏山と言っても丘みたいに低い山で、登っていくとボロボロの家がありました。

 白くペンキで塗られた洋風の一階建てで、テラスがあって、ぼろぼろでじゃなかったらテレビに出てくるおしゃれな家みたいでした。

 つる草がぶらぶらしている崩れたテラスから中に入りました。

 家具や食器はそのまま置いてあって、普通のおうちみたいです。家じゅう山の土みたいに湿って、苔や草が家の中まで上がってきていました。

 そして、私は一つの部屋に入りました。ここの部屋はどこもみんな狭く作られていましたがここだけ大きくて、家具も何もない中で室内用遊具の迷路トンネルのようなものが壁にぴったり寄せておいてありました。

 段ボールと木の枝で誰かが作ったもののようです。子どもがハイハイして通り抜けて遊ぶもので、私が行っていた幼稚園にも先生たちが作ったものがあって私はよく遊んでいました。

 中を覗くと一度に二人くらいなら入れそうな幅と高さです。山の湿気でふにゃふにゃしてカビだらけですが、私は中に入ってみました。

 不思議とそんなに暗くはありません。

 奥へ進むと少し広くなったところがあり、トンネルはそこからヒトデの足みたいに分かれていました。分かれたところを覗いてみると先は狭くなっていて浅く、突き当たりの壁が見えます。

 一つのところだけまだ先に行けるようになっていたので、私ははいはいで進んでいきました。

 そこのダンボールの壁には、白くてぽろぽろした棒のようなものがいっぱいついていて棘みたいでした。でもポキポキ折れるので体に当たっても痛くはありません。

 その突き当たりは、この部屋の壁にくっついていて、そこには座布団くらいの大きさの扉がありました。

 扉はすごく厚い木の板と鉄でできていて鍵がかかっています。

 扉を目にした途端、なんだかめまいと吐き気がしたけど気のせいだと思って、とりあえずその扉を開けようとしてて触ってみたとき

 

「開けるな! 早く出ろ!」

 

と怒鳴られました。急いで出ると、猟銃のようなものを持った知らないおじさんがいました。

 

「開けたら死ぬぞ! さっさと出ていけ! ……まったく、最近の子どもは!」

 

 開けたら死ぬと言われたことより、私はおじさんが持っている猟銃のようなものが怖くて、動けませんでした。

 私の服には、小さな白いものがたくさんついていました。トンネルの中の棘のような白いもののかけらです。

 おじさんは、それは指の骨だと言いながら、私の服をものすごい勢いで叩いて払ってくれて、それからそそくさと離れ、また怒鳴りました。

 

「二度と来るな」

 

 私は気がつくと祠の前にいました。

 どうやってここへ戻ったか、覚えていません。

 その代りに思い出したことがあります。

 私がどこで何をしていたか思い出せない間に、あのトンネルにとても良く似たもので遊んだ気がするのです。

 そこでも、土臭さや黴臭さ、白い指の骨もそのままでした。違ったのは最後の突き当たりはただの段ボールの底で閉じられた空間で、壁に接してはいなかったことと、誰だかわからないけど、トンネルで遊ぶのを勧め、中を進む私を囃したり褒めそやしたりしていた人がいたこと。ちょっと気味が悪いなと思いながらも私はその時その人の言いなりで遊んでいました。顔も年齢も性別すらも思い出せません。

 そしてそこから私は何も覚えていなくて、その間に家族は消えてしまいました。

 

 近所の人は言っていました。

「あんたのせいで、あんたの親も弟も連れていかれたんだよ!」

 

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 ここで一度夢は終わりました。

 

 あのドアを開けていたら、どうなってたんだろう?

 私は疎まれた子どもだったので、私一人が死んでもあの地域にとってなんということもないだろうから、町全体の災厄みたいなものが入っていたのかも?

 

 私は夢のREPLAYができる体質なのです。

 この夢の内容の不条理さに納得がいかない私は、この夢をREPLAYしてあの扉の奥を覗いてみることにしました。

 現在の大人の私の意識を持ったままならきっと大丈夫だろうと。

 

 あの座布団ほどの扉の前へ行き、物は試しでぐっと引っ張ってみると、あっけなく鍵は壊れてすっと開きました。

 中は二畳程度の広さで、あのトンネル内部と同様不思議と薄明るい空間でした。なのに、どこから採光しているのか、まったくわかりません。

 床には朽ちた藁で円が描かれ、その中央になにか動物の死骸がありました。

 兎だか猫だか、そのくらいの大きさで一部白骨化したミイラでした。

 

 あれだけ人間の指を通路に植えたりするような猟奇的なことをしといて、動物の死骸? と拍子抜けしたのですが、そのとたん目の前が真っ暗になりサイケデリックな色の粒子が現れました。ぎらぎらと水に浮いた鉱物油の色をどぎつくしたようなものが視野いっぱいに現れ、ぐにゃぐにゃと歪みます。

 まともにものが見えません。

 

 私は怖がり屋なので、これはアカンやつ、とREPLAYを終了して逃げました。

 

 この夢の話は今度こそ終わりです。

​                   <了>

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