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かこわれものの庭園

 

 

 若くてみずみずしい子は、すぐに客に気に入られる。

 客は若い子を熱心に眺めまわし、しっとりとした肌の艶を値踏みする。

 そして、共に過ごし本能を満たすひとときにつけられた価格と、今目の前にいる相手が与えてくれる愉悦が釣り合うかしげしげと考える。

 そして得心が行けば、手に手を取って見世棚からふらりと消えていく。

 

 その日もあたしは見世にいた。

 あたしは俗にいう「お水」の世界でずっと暮らしてきた。

 あたしの親もその親もそうだったので、抵抗はない。

 人前に出られる歳になるとすぐこの仕事に就いた。

 

 今日も素っ裸でいるのと大して変わらないスケスケの衣装一枚を付けて、客の前でしなを作ってみせる。

 でも、客は大抵素通りする。

 あたしはもともと癖が強いと言われて、あまり人に好かれないタイプだった。

 特に少し歳が行っていたり田舎暮らしの経験がある客だと、あたしを見るなり

「こんなのに金を払うんか? こんなんその辺にいっぱいやんか」

と吐き捨てるように言う。

 それが一度や二度ではない。

 確かに、あたしと同じ出身の若い子たちも、店ではあまり売れっ子ではない。艶々と見栄えの良い子たちが客に連れて行かれるそのすぐ脇で、いつも暇そうに欠伸をしている。

 でもまだあの子たちはいい。

 あたしの花代は、あの子たちの二割。五分の一。

 すっかりトウがたって、くたびれて、はりも艶もあったもんじゃない。

 お楽しみの相手に選ばれるには安値で釣るしかないしおたれた古株。

 溜め息しか出ないというものだ。

 

 しかし、その日は違った。

 あたしは、安い花代で身を売る仲間と、見世棚の少し外れの方で他愛ない世間話をしていた。

 みんな、話がしたいわけじゃない。面白くもない話に興じているふりをする。

 ただ退屈でたまらないから、というだけでなく、みんな自分の将来に漠然とした不安を抱えていて、意識を逸らしてしまいたいのだ。

 

 ふとあたしの前が翳った。

 あたしの真ん前に、見世の灯りを遮って客がいた。

「君はなかなかいいね」

 くたびれた顔をした客は、それでも嬉しそうに言った。

「掘り出し物だ。私の懐具合と合いそうだよ」

 結局そうだ。

 みんな、あたしではなくあたしの値段に興味を持つ。

 でも、あたしのことをじろじろ見たあとやはりきれいな子の方へ行ってしまう。

 マチュアの魅力ってやつも、あたしにはない。

 あたしは自分を知っている。

 自分が可愛くもセクシーでもないのを知っていながら、売る媚は寂しいものだ。

 ほら、流し目をくれたらちょっと眉間に皺を寄せた。

 あたしも我知らず、ちょっとシニカルに笑ってしまう。

 ところが、こういう言葉があたしの頭上から降ってきた。

「私は、君みたいな子、好きだな」

「は?」

 突然言われてあたしは素の声を出してしまった。

 客は手を伸ばして、透けるパッケージの上から私の肌を優しく撫でた。

「君は、身を売るためにこの世界で生まれて育ったんだね……本当の生き方を知らずに」

――本当の生き方?

 大真面目な顔をしているわりに言うことが痛い。

「どういうこと?」

「君はこの『お水』の世界しか知らないんだろう? 本当に地に足を付けた暮らしをしたことがないってことだよ」

 当然、反発したくなった。

 他の場所なんて、私は知らない。ここが私の生きる世界だ。

 だけど、私を撫でる手も、私のくすんでしょぼくれた躰をくまなく眺めても動じない眼差しも、不思議と心地よかった。

「違う世界で生きてみたくない?」

「違う世界って何?」

「本当の君の生き方ができるところ……厳密に言えば、本来生きるべきところのイミテーションだけど、今よりはずっと君の命を生きられる」

――私の命を生きる?

 意味が分からない。

 だけど、……それはひどく私の心に響いた。

 

 私はいつも、自分が心も命もないただの商品なのだと思っていた。

 生きてはいるけれど、それは命という言葉に寄り添っていない。

 私の母も、祖母もそうだったから、人生とは、食いものにされて終わりだと。

 それは、どうしようもない流れなのだ。

 深く考え、望みを持てば持つほど自分自身が傷つく。

 だから、過ぎ行くものを感情を波立たせずにただ眺めてきた。

 ここにいる子たちはみんなそうだ。

 

 客はちょっと言葉を切ると、ほんの少し本能を滲ませて唇の片側だけで笑った。

「まあ、他のお客さんと同じにちょっとは君の躰を楽しませてもらうけど」

 客の視線に、あたしは自分の足に生えてきている処理し忘れのものに気づいてちょっと顔が白くなった。

 私は顔が赤くならない性質だ。何かあると白っぽくなる。

 それをじっと見ていた客はしみじみと呟いた。

「君は細いねえ。虚弱体質かな?」

「……みんな、こういうのが好きなんじゃないの?」

「私はしっかりした身体の方が好きだよ」

「……」

「私と一緒に来れば、君はきっと丈夫になって、もっと顔色がよくなるよ」

「あなたのために、そうならないといけないってこと?」

「違うよ。君が本当の姿に戻るだけ。言ったよね、私は君が君の命を生きることができるようにするって」

 客はちらりと時計を見ると、逡巡するあたしを掬い上げて軽々と抱え、見世のおかみに言った。

「この子、もらっていくよ」

 

 客の家に着くと、さっそくあたしは躰を貪り食われた。

 

 詳しく言えば、見切り品セリ30円のシールが貼られたビニールのパッケージをひん剥かれて、根元から15cm残して切り落とされた葉と茎はレンジで1分間温められ、おかかと醤油でお浸しにされた。

 

 そしてあたしの命の残った根と茎と少しばかりの葉は、客が大事にしている水の箱庭、水生植物と金魚のビオトープに植えられた。

 15cm残されたのは、水中に沈めた鉢から顔を出して呼吸と光合成ができる長さを考えてのことだった。

 

 緑色の水の中の赤玉土は、水耕栽培されたあたしにはとても新鮮だ。

 土って、いい。

 ふと周りを見ると、赤や黒や白のひらひらした生き物がいた。

 金魚というらしい。あたしは金魚を、いや魚というものを初めて見た。

 あたしよりは、あの客に似ている生き物だ。

 目鼻口があり、骨という固い部分もあるらしい。

 だいぶかけ離れてはいるが手のような部分もある。

 足は……かけ離れ過ぎていて訳が分からない。

 好奇心が強いらしく、あたしの近くに寄ってきては調べるように鼻面をくっつけてくる。

 

 あたしはスポンジに根を絡め、水と溶かした肥料だけ与えられて工場で育ったセリ。

 出自は田んぼや川に生える雑草で、あたしなんかにお金を出すのが馬鹿馬鹿しいと思う人もたくさんいる。

 

 今、土の感触を知る。

 どこで生まれたのかわからない風が吹く。

 太陽の光を浴びる。

 あたしの中にあったらしい、生きたいという思いがざわめく。

 随分短くなってしまった姿で、あたしは深呼吸した。


 

        <了>

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