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竜使いとおおかみむすめ

 

 

Ⅰ. 邂逅 

 この一週間は、絶え間なく雪が降っていた。
 さらさらとしたものではなく、ひとひらひとひらがティースプーンで掬ったように大きく重い。風もなく、すい、すいと降ってくるさまは白薔薇の花弁だった。

 森に囲まれた村は静かだった。
 家々はおしなべて奇妙なテントのような構造で、屋根の雪は軒下に滑り落ちたものと繋がって重量を分散している。絶妙な均衡で雪の重みをいなしているのだ。
 丸太と頑丈な石を組み、おが屑を混ぜた漆喰を塗った家並みはひなびた風情があって、夏ならば、街の連中が露骨に田舎者を見下しながらぶらついていることもある。しかし今は冬、家々は光と煙が漏れる雪の塊と化し、ともすれば雪深い庭や道と同化してしまう。雪かきは最低限の範囲しか行われず、人間のみならず犬や猫、鶏、多くの家で飼われている頑丈な山羊や毛深い牛たちまで、蓄えを食みながら雪の下で忍耐強く春を待っている。
 今は夕暮れ時で、曇り空の彼方で太陽は早々と沈みかけている。冷たい剃刀のような空気に、牛乳やバターをふんだんに使った料理の匂いが混じり始めた。贅沢なのではない、それしかないのだ。

 その村の森へと続く道は、柵に囲まれた広大な蕪や芋の畑と放牧地が道の脇に広がっていて、冬でさえなければ、まだ幼い牛飼いや山羊飼いが駆け回って遊び、大きな犬たちが勝手にどこかへ行こうとする連中や、森からこちらを窺っている狼に目を光らせている絵のような風景が目にできた。でも今は、何もかも真っ白な雪の敷布に覆いつくされた、だだっ広い原っぱだ。
 そこを、カンテラに灯を入れ、きしきしと雪のきしむ音を立てながら森へ向かって歩く影があった。呼吸で熱を奪われぬよう、顔は覆われていて見えない。ここらの人間にしては背が高く、どこで手に入れたのか、牛や馬に使う粗末な毛布を頭からすっぽりと被って、背後に小さな荷橇《にぞり》を引いている。
 ときどき、足を止めると空を仰ぎ、何か呟いてはまた歩き出す。大きな寺院で祈祷をしている坊さんのような仕草だった。
 
――畜生。

 

 確かにそう、彼は呟いた。
 空を仰いで唱えているのは、祈りでも呪《まじな》いでもなく、毒づく言葉だった。寒さと雪と、引っ張っている橇の扱いにくさに、ぶつぶつ文句を言っているのだった。
 その体つきは風雪に耐える頑丈なものではなく、ひょろりとした葦のような丈高さで何度も風に煽られている。柳のラケットを足に括り付けているのだが、一歩踏み出すたびにふくらはぎのあたりまで沈む。それを引き抜いてはまた踏み出す。こうやって動けているのは、玄武岩の薄板を温めて、体のぐるりに布でぐるぐると巻き付けているからだった。しかし村で一度取り換えたそれも、もう冷め始めている。それがまた甲冑のように重い。
 そもそもこのあたりの住民なら、雪の精にひょいと魂を持っていかれて翌朝冷たい骸になって見つかりたくなければ、この季節、この時間に一人で外を歩いたりしない。どうしてもの時は人間であったり犬であったり、必ず誰かを連れていく。
 ところが彼は一人だ。
 簡単に言えば、彼はよそ者だった。
 背丈だけはそこらの大人より伸びているがまだ十四歳で、独りで森の奥に棲んでいる。
 村人たちは、先だって、秋の始まりにこの森へやってきて住みついた彼を薄気味悪く思っている。魔法使いだという者もいる。
 先刻、村で買い物をした時にも、戸を叩いて開けてもらう度に村人たちから魔物にでも遭ったように十字を切られていた。彼が使っている温石《おんじゃく》も、悪魔の技にしか見えていない。
 それでも乞われるままにパンや牛乳や、豆や蕪を売ってくれるのは、恐れからか優しさからなのかはよくわからない。その両方でもあったのだろう。
 
 彼はやっと森に入った。
 気を付けないと、シカやウサギ用のくくり罠が仕掛けられている。
 彼は往路と同様に注意を払って、木々に刻まれた印や結びつけられたぼろ布を探しては迂回する。それが罠の設置場所の印だ。引っ掛かったからと言って死ぬようなものではないが、ばねの力でいきなり締め上げられれば痛い。
 罠が仕掛けられているあたりを抜けると、そこは村人たちが恐れる精霊や魔物の領域で、そこへ辿り着けば安心だった。
 彼は左足に何かを踏んで、つんのめった。
 
「うわ」

 

 そのまま、ぼふんと雪に人型を刻印してしまう。
 慌てて起き上がり、彼は立ち上がろうとしてまた人の形のくぼみを作った。
 蚊蜻蛉のように肉の薄い足は、雪中にあるというのにすかすかと動く。どうも、小さな空洞を踏み抜いてしまったらしい。
 小さく唸り声をあげながら体勢を立て直そうとしていると足元から、もう一つの有機的な音声が聞こえた。蜂がぶんぶん言っているような音だ。
 不都合にも、足に履いた柳のラケットに何かが引っ掛かっている。
 枝や雪の塊ではなく、何かしなやかである程度太さのあるもの。
 なんとなく、雪の洞から暖かい空気が立ち上るように感じる。

 

――まずい!

 

 もうここで何となく嫌な予感はしている。
 右手と右脚で体重を散らしながら左足を片手で抱え、蕪を抜くように持ち上げる。
 ぼくっと洞が壊れて雪で埋まる音とともに、引っ張り出されたそれを見て、彼は心臓が凍るような恐怖を感じた。
 ラケットに絡みついていたのは、……もとい、噛みついていたのは小さな犬のような灰色の生き物だった。
 ぶらぶらと揺れながら、小さく唸っている。
 カンテラの貧弱な光に照らされ、赤っぽく光る眼でこちらを見ている。威嚇の顔つきだった。その獣の後ろ脚には、板のようなものがついている。それから長い針金をより合わせたものが見えた。
 この生き物は、くくり罠を踏んだが罠の地中部分まで掘り返して逃げてきた。しかし、脚をぎりぎりと針金に締め上げられ、ここで力尽きて雪穴を掘って隠れていた、ということなのだろう。

 問題はこの獣の種類だった。
 どう見ても、オオカミの仔だ。
 
 もしこの近くに親がいれば、一声でも悲鳴をあげられたら探し当てられて、オオカミの夕食にされて終わりだ。
 ここは黙らせて、毛皮を剥いで首巻きにでもしてしまうのが賢明だ。
 ところが彼はそうしなかった。
 息を切らしながらラケットからオオカミの仔を引っこ抜いて、鼻面に剣呑な皺をいっぱいに寄せている和毛の塊を懐に抱え込み、鯉のように跳ねる体を該当の上から被っている毛布でくるみ込んだ。

 

「助けてやるから、声を出すな」

 

 麻袋かと思うほどちくちく、ざらざらとした毛布の上から、手袋をはめた手でぽんぽんと優しく叩く。

 

「いい子だから鳴かないでくれ。そしたらその罠は外してやる」

 

 通じるとも思えない。
 しかし話しかけると、あっさりとオオカミの仔は大人しくなり、緊張した仔犬のように震え始めた。
 彼がその毛むくじゃらを抱え、荷橇を引っ張って歩みを進めようとすると、懐から哀れっぽい細い声がした。

 

「あんよが、いたいのです……」

 

 ひどく聞き取りにくいが、確かにそう言った。
 彼は自分の腕の中にいるものが意外と厄介なものだったことに気づき、また濁った呻き声をあげた。

 

 そこまでは誰でもよくやることだろう。
 そこからの動きだってたいてい読める。

 振り落としてしりもちをつく。
 それから、這う這うの体で逃げ出す。
 もし、肝が据わっていれば腕に抱えたものを検《あらた》める。
 それから、頭を狙って何かを振り下ろし、叩き潰す。

 ところが、彼はどの行動もとらなかった。
 まずい、と思っても浸る暇はない。足元に積もり天から落ちてくる白い六角形がそれを許さない。年齢のわりに度胸、それから離人症めいた怜悧さだけはたっぷりある。
 周囲にはこの獣の縁者はいないらしい。それさえわかっていればいい。とりあえず彼は、この生きものを荷橇《にぞり》に載せて運ぶことにした。
 下ろそうとすると、捨て置かれると思ったのか、それはまた鳴いた。

 

「あんよがいたいのですよぅ」

 

 きゅうきゅうと泣く子犬のような声は、少しだけ明瞭になった。
 このあたりでは、人狼は人の姿でないと人語を操れないと伝えられていた。
 抱えた獣の頭の方が徐々に、しかし確実に重くなってきている。何やら、変形しているような気がする。

 

「姿を変えるな! よけい針金が食い込むぞ!」

 

 声変りがすんだばかりの喉から鋭い声が飛んだ。

 

「でも」
「でもじゃない。うちについたら外してやるから、大人しくしろ」
「だっこがよいのです」
「贅沢を言うな」

 

 毛布の中の毛むくじゃらは若干の変形の気配を保ったままで少し黙り、それからおそるおそるの声がした。

 

「おうたをうたってもよいですか」
「仲間を呼ぶのか」
「いいえ」
「もし呼んだら、そいつは外さんぞ」

 

 彼はぶっきらぼうだったが、発声や言葉の端々が、よく言えば賢しげで典雅、有り体に言えば高圧的で分別臭い。とりつく島もない少年の声に、哀れな仔はこう言った。

 

「ちがうのです、おまじないのおうたをうたうのです」
「何のまじないだ」
「ぶじにおうちにかえれるおうたなのです……あなたさまがおうちにはやくかえれるように」
「仲間を呼んで、私を襲わせるような『おうた』じゃないだろうな」
「ちがうのです……はやくおうちで、このいたいものをはずしてくださいなのですよ」

 

 人狼の仔は、どこで学んだのか言葉遣いはたどたどしかったが丁寧だった。村の子供たちよりも王都で使われているアクセントにずっと近い。 

 小脇に抱えた半獣を抱えなおし、きしきしと歩みを進めながら彼は言った。
 
「小さい声でならいいぞ」

 

 そう言ったとたん、か細い歌が始まった。
 単調で、旋律の繋がりが奇妙で、歌と呼んでいいのかわからない。
 でもこの人狼が歌というなら歌なのだろう。

 

 O' cohho cohho alita tattah wohnna wohnna
 A' nn hown n'how hattat atila Oh hoc Oh hoco

 

 こう聞こえた。
 意味は全く分からない。
 帰ったら書き留めておかなければ、と思いながら彼は前へ進む。不思議と、脚の沈み込みが浅くなった気がした。
 そう、あくまでも気がしただけだ、と彼は白い息を吐きながら思う。思うが、本当に足を雪から引き抜く労力は軽減されたようだ。
 細い喉から出る歌声は切れ切れで、時々途絶える。
 もう、べそかき声だった。


――痛いのだろうし、寂しいのだろう
――それに、私が本当に善い人間か、不安でもあるだろう

 

 そう思うと、この謎の音声の羅列「ぶじにおうちへかえれるうた」が荒い息の下、彼の口を衝いて出た。

 

「オォ コッホ コッホ アリータ タッター ウォーンァ……」

 

 まるで赤ん坊の喃語だ。しかし、その声に勇気づけられたのか、すすりあげながら半獣の仔は唱和してくる。
 歌いながら、彼は足がずいぶん軽くなったように感じていた。それでもこの少年は、いわゆる労働歌の効果程度に思っていた。十四歳にして彼は信仰や伝承、風習などには懐疑的で、そこがこの時代の人間《じんかん》で暮らせない一因でもあった。
 それでも、存在するものをいないと言い張るほど、自分の知覚を疑ってはいなかった。例えば、この腕に抱えた人外の存在についてなどだ。

 それから半時ほどで、彼らはやっと、目指した場所へ辿り着いた。
 少年がうちと読んでいたのは古い森番小屋で、昔この辺りの領主が狩猟をしていたときの名残だった。

  一昔前、このあたりの領主は獰猛な犬をたくさん連れてオオカミを狩っていた。敵の死骸を見せびらかす軍隊の凱旋よろしく、たくさんのオオカミの死骸を吊るして道中の見世物にしながら館まで帰ったという。森番は領主の狩猟に都合が良いよう動物を守り、下賎の者の立ち入りを規制し、林道を保全するのが仕事だ。しかし、領主の狩猟対象が家畜を襲う害獸だったため特に保護するようなこともなく、村の猟師は森の奥に入り放題で、この小屋は単なる休憩所と化していた。
 ところが十年ほど前のある日、善男善女の面前で恐ろしいことが起こった。領主が狩った年古りた巨大なオオカミが、温もりが消えていくにつれ、ゆっくりと人間のかたちへ変わっていったのだ。その骸は時おり村へぶらりと現れて農作業を手伝い、パンや卵をもらってどこぞへ帰っていく気のいい爺さんのものだった。
 領主をはじめ、その場にいたものは無残な老人の死体の前で一様に震え上がった。
 それ以来、ここは誰も立ち入らない。誰の口にも上らない。
 森の辺縁ではみな、頻繁に十字を切りながらきのこや薪を採り、材木を切り出す。少し奥では猟師がウサギやシカ、毛皮用のキツネやテンを捕っているが、必ず行きと帰りに教会へ立ち寄る。そして、領主の狩猟用地であると示す朽ちた看板から先へは決して入ろうとしない。

 だからここは、人を避けたい彼にはよい住処になった。

 石を積んで高く作られた床束《とこつか》のせいで、十二段ほど階《きざはし》を上らないと入れないのだが、雪が積もってせいぜい三段昇ればポーチデッキに上れる。
 扉はポーチに弧を描いて重い雪を圧しのけ、仮寓の主を迎えた。

 

「ただいま」
 
 もちろん誰もいないが、彼はそう挨拶した。身に沁みついた習慣なのだろう。

 

「さあ着いたぞ」
「はやくいたいものをはずしてくださいなのです」
「その前に」

 

 彼は苦しげに息を弾ませていた。これでも必死にこのお荷物を抱え、荷橇を引いて、彼にとっての最速でここまで帰り着いたのだ。

 

「元の姿に戻れ。人のかたちに似たものは立ち入り禁止だ」

 

 そう言い放ちながら、入ってすぐのテーブルにカンテラを置き、懐に抱いていた重かった荷をそっと床へ下ろした。毛布の下から姿が現れる一瞬、猿とも犬ともつかぬ奇妙なものが見えた。が、見る見るうちに、灰色の毛むくじゃらなオオカミの仔になった。くくり罠のばね仕掛けがごとんと床にあたって、人狼の仔は顔を歪め悲痛な声をあげた。
 その声はもう、先ほどまでのものとは違う、完全な獣のものだった。
 完全なオオカミの姿であるときは、人語を操れなくなる、と何かで読んだが本当だったのだな、と思いながら、毛艶の悪い痩せた背中をちょっとだけ撫でてやる。それから彼は被っている家畜用の毛布を、かさぶたのような塊になっている雪を落とさないようそっととった。
 毛布の下からは、癖のない黒髪が重たげに流れ出した。ものぐさで、伸ばしっぱなしになっているのだ。きつく釣りあがった切れ長の目には、虹彩の光が当たる部分に濃い灰色を一刷毛刷いた黒の瞳が嵌っている。
 この色の目も髪も、このあたりでは珍しい。王都の方では異民族の流入もあるのでそう珍しいわけでもないのだが、村人たちがあからさまに彼を異端視する一番の要因がこれだ。
 ひょろっとした体躯と肌艶の悪いこけた頬、鋭い目つきに細い鼻梁が通り、少年らしさがまるでない。表情の読み取りにくさも身のこなしもまるで大きな鳥か、もっとぬくもりの少ない動物のようで、これも身を寄せ合って生きてきた村人たちには悪魔的に見えるようだった。

 毛布の下に着ていた、もとは作りがよかったと思しきボロボロのコートを脱がないまま、彼はカンテラからランプに灯りを移した。半分ほど水が残っている鍋がかかったままの暖炉の灰を木の棒でひっかきまわし、埋み火を掻き立てて粗朶《そだ》をくべ、。
 ぱちぱちという音を聞きながら、先ほどの毛布をドアの外で振り回して雪を落とし、外の荷橇から荷物を小屋へ運び込んでテーブルの上にどんと置く。それから手袋をはずし、チロチロと火が上がる暖炉に手をかざして温めた。
 時折長い手指を動かし、入念に揉む。
 それが終わると、かじかんだ指は何とか動くようになった。
 それからごそごそとテーブルの下にある木箱をひっかきまわし始め、はさみやプライヤーを掴みだした。それを暖炉の火であぶり始める。
 その間、件の半獣はきゅうきゅうと小さく鳴き続けていた。

 

「よし、今から取ってやる」

 

 湿った毛をぼさぼささせてみじめそうに震えているちびすけを、彼は明るい暖炉前に抱えてきて、胡坐の膝の上にのせた。
 くくり罠の針金は右脚に輪状に食い込み、皮膚を破って肉が見えていた。骨は何とか露出していないが、傷のあたりは毛の付いた皮膚がひらひらし、肉はざっくりと裂けて干し肉のように黒変している。救いは、右足の先がまだ壊死もなく温かいことで、血管や神経はまだこの肢を繋いでいる。
 彼は少し黙った後、少し明るい声を出した。

 

「なんだ、大げさな。大丈夫じゃないか」
「きゅう」
「痛いだろうが動くなよ」

 

 少し冷ましたはさみで、傷の周りの毛を少し刈り込んで、ボロボロの皮膚を切り取る。

 

「くくり罠はな、この輪になったところが外しにくいんだ」
 
 そう言いながら針金を通した小さなカシメを小さなプライヤーで切る。
 そこさえ外せば、簡単に緩められる。
 肉に食い込んだ針金をはずすのはこちらまで痛みを感じてしまうような作業だった。
  針金がばりっと組織から剥がれる。
 外れた罠が、がたんと床へ落ちた。
 彼は詰めていた息を吐いた。同時に、幼い人狼もため息をついた。
 しかしまだやることはある。

 

「ちょっと待ってろ」

 

 傷を湯冷ましで洗った後、嫌な臭いのする酒を出してきて傷に垂らす。
 人狼の仔は、彼がまた火に炙り始めたものを見てまた鳴き始めた。
 それは、鉤のように曲がった針だった。

 

「少し痛いが、大丈夫、また走れるようにしてやる」

 

 少し痛いどころではないのはわかっていたが、彼は手早く傷口を縫い始めた。この時代、このあたりでは外傷は手の施しようがないと見るや否や十字型に切開し、悪魔を追い払うために塩をかける。王都でも縫合術を身に着けた医師はまだ少なく、秘術として匿《かく》されていた。そして、まだ細菌やウィルスというものに対する認識は誰にもない。
 しかし、彼にはそれがあった……後世の細菌研究の黎明期と同程度には。
 それは、彼の母から伝えられたものだ。そして時折、彼はこう思う。

 

――母上、あなたの生きた世は、人々はみな幸せであったのだろうか

 

 ともあれ、このことは誰にも言わなかったし披露もしない。どうせ悪魔の技として恐れられるのがオチで、捕らえられて申し訳程度の裁判で火炙りにされる。それはごめんだった。

 オオカミは最初の二十秒の間、甲高く鳴き一度身じろぎした。
 そして縫い終わりに黒い絹糸を切るとき、また鳴いた。

 

「はい終わり」

 

 彼はそう言うと、針をぼろ布で拭き、もう一度軽く炙ってから暖炉の火掻き棒の脇においたピンクッションに刺した。針穴に残っていた絹糸は、火の中に投げ込んだ。
 もう一度、傷口にあの酒をびしゃびしゃと掛け、布切れを巻く。

 

「普通の医者はなかなかここまでやらんぞー? んー?」

 

 やっと人心地ついた彼は、大きな仔オオカミを持ち上げて鼻が触れ合わんばかりに顔を付き合わせた。
 相手もやっと安堵したらしく、目をクリクリとさせてこの変な少年を見た。
 しばし見つめ合った後、少年は目を細めて笑った。
 笑っても年寄り臭さが抜けないが、鋭い印象は随分と和らぐ。心の根っこの部分にあるやさしさがふわっと滲み出るような笑顔だった。

 こうして見ると、呪われた怪物の仔とはいえ、なかなかいい顔つきをしている。小さなしぼのある鼻は愛らしかった。近くで見るその目は、苦痛に耐え続けて溜まった目脂に縁取られてはいたが、夏空のような美しい青だった。
 だがその可愛らしさを覆い隠してあまりあるのはその体臭だ。
 雪穴の中で垂れ流しだった臭いが、温まった体からさらに濃く立ち上る。
 彼の目はちょっと下へ注がれていった。

 

「ああ、雌か」

 

 そう言われて、半獣の仔は一声ひゃんと鳴き、ばたばたと手足を動かした。幼くても女性は女性なのだろう。
 無神経な言葉はまだ続く。

 

「君は、ずいぶん可愛らしいがものすごく臭いな」
「きゅう」
「今日は勘弁してくれ、明日洗ってやる」

 

 脚の傷を縫い終わり一息つくと、彼は村で買ってきたばかりの牛乳とカラスムギで粥を作った。
 木皿によそって、奮発して卵も割り入れる。前においてやると、餓《かつ》えていた半獣の仔は足の痛みも忘れたように平らげ、皿と口の回りを熱心に舐めた。皿を譲ってべこべこ凹んだ貧相な鍋に直接スプーンを突っ込んで食べている彼に、ひゃんひゃんと甲高い声を上げておかわりをねだりはじめる。本当のオオカミの仔はあまり声をあげて鳴かないのだが、人間である部分があるせいか半獣の仔は饒舌なようだ。
 結局、若干の物足りなさを訴えながらも寝入ってしまった灰色の毛の固まりを、ほつれた麻袋を敷いた木箱に突っ込んで、彼はいつもより少々空腹でベッドに入った。

 夜の静寂に、森の雪折れの枝の音が聞こえる。
 そのたびに、少年はベッドの下の木箱の中身が息をしているか、温かいかを確かめていた。

 そうして朝、目を覚ます。
 朝と言っても明るいわけでも早起き鳥が鳴くわけでもない。
 彼の母は、生き物の体の中には時計がある、と言っていた。確かに、夜寝て、目覚めたらたいてい朝の決まった時間なので、比喩ではなく本当に時計があるのだろうと彼は思う。
 しかし昨晩は非日常の作業でへとへとに疲れ、体の中の時計はぜんまいがびろんびろんとはみ出しているようだ。今朝は、その時計が彼を起こす前に、どたばたどたばたと乱れた音に起こされた。
 木の床の上に小さな爪が当たる音もする。
 奥にたくさん積んでいる本や巻物が雪崩を打っている。

 

「うるさい……」

 

 木のベンチを二つ寄せ、羊の毛皮を二枚中表《なかおもて》にし、さらに手持ちの服を適当に被せた乱雑なベッドから呻き声があがる。彼は上掛けを顔まで引っ張り上げた。見てくれの血色の悪さの通り、彼は蒲柳の性質《たち》で、何事も自分のペースに合わせないと機嫌が悪くなる。
 特に朝はそうだ。

 

「まだ寝てろ」

 

 半分眠っている叱声に抗議するようにきゅうきゅうという音が被さる。

 

「昨日の今日だぞ……傷が開くだろうが」

 

 きゅうきゅうの音は大きくなった。

 

「腹が減ったのか」

 

 さらにきゅうきゅうは音量を増す。

 

「寝る前に食べただろうが」

 

 その言葉を聞くや否や、小さな生き物は彼のベッドの上掛けの縁を捕まえて引っ張る。
 首を左右に振って引っ張るその仕草と鼻面に皺を寄せた表情。
 うーという唸り声。
 やはり野生オオカミそのものだった。
 しかし、さすがに右脚には体重を掛けていないので少々踏ん張りが甘い。
 上掛けの上に寒さ除けに載せていた古ぼけた服が、仔狼の荒れた冬毛の上に降り注ぐ。

 

「やめんかこら」

 

 やっと彼はベッドの上で身を起こす。
 踝の出っ張りが目立つ白い足がぬっと出てきて、服の下をがさがさと探り、そこに見つけた靴を爪先につっかけた。
 と、その骨張った踵に幼獣が噛みついた。
 小さく細い歯は、鋭い。
 しかし、痛くはない。
 甘噛みなのだが、唸り声だけはする。
 何か食わせろというアピールらしい。

 

「やーめーろ!」

 

 ぼさぼさの頭とシャツに下着、そこに長いフリンジを垂らしたショールをぐるぐる巻き付けるという、見てくれもなにもないすがたで、暖炉にまた火を起こし、また粥を作る。
 穀物が煮える間に、無頓着にベッドの周りから適当に衣類を拾って着替え、髪をざっとまとめて革紐で括る。その間、件の獣は暖炉の周りをうろうろしていた。火には慣れているようだ。
 そうこうしているうちにカラス麦が煮あがり、ふっくらと膨らむ。 
 彼もこの獣も、続けて同じものを食べても全く気にならない性質だった。しかし今朝は小さな客に対しても卵はなしだ。

 

「傷は痛むか?」

 

 粗末な朝食の合間に彼は尋ねた。
 毛むくじゃらは顔もあげず一心不乱に食べながら、それでもしっぽをぴこぴこと振った。

 

「よかったな」

 

 ぴこぴこする尾に彼は言った。

 朝食が終わると、彼は外へ出た。ちび狼もアンバランスに跳ねながらついてくる。彼が唇を紫色にしながら、デッキに積もった雪でざっと鍋を洗っている間に、小さなレディはデッキから降りてその陰で用を足した。彼が鍋に雪を山盛りにして中へ戻ろうとするとやはり彼女も戻ってくる。
 昨日の「歌」といい、この彼の行動と自分の欲求と紐づけする能力といい、人間の幼児と同程度には賢いようだった。
 さっそく雪がてんこ盛りの鍋を火にかけ、雪を炊きはじめる。真っ白な雪はみるみる萎み、透明になった。
 そこへ例のごちゃごちゃした木箱から取り出した、乾いた草の束を突っ込む。
 沸騰をはじめると、薬っぽさのある芳香とともに白い泡が浮いてきた。草は、ラヴァンディンとサボンソウの類だったようだ。
 火からおろしてそこへまた外から取ってきた雪玉を入れ、人肌より少し温かい程度に冷ます。

 

「昨日、体を洗ってやるって言っただろう」

 

 不審そうに見ている毛むくじゃらの首の後ろをひっつかんで自分の真ん前に置き、彼は言った。 

 

「このままだと鼻が曲がりそうだぞ」

 

 この幼い灰色毛玉は露骨に嫌そうな顔つきでぞろっと歯をむき出したが、あまり暴れなかった。昨晩指摘されて、やはり自分の臭いが気になっていたのだろう。
 右脚の包帯をとると、腫れはあまりなく、膿が出てきていた。体をぎゅっと曲げ、傷の臭いを嗅いで舐めようとするその体を、湯で絞った麻袋を被せてがしがしと拭く。
 また濯いで絞って、拭く。
 それを何度も繰り返し、指の隙間まで拭き上げる。
 どうも彼は無頓着というかさばけすぎた衛生観念を持っているようで、最後に、どうせまた加熱するからどうでもよい、と鍋に仔狼をざぶんと浸けた。もちろん右脚は外に残す。
 この貧相な鍋に全体が入りきるわけではなく、右脚以外もだいぶはみ出ているのだが、とにかくサボンの汁を体中にかけ、さらに洗う。
 最後にぼたぼたと洗浄液を垂らした彼女を床に置き、さらに拭こうとすると、もちろん野性的な彼女はそんな暇など与えない。体を思いきりぶるぶると震わせて、このぶっきらぼうな世話係にしぶきをしたたか浴びせた。

 

「……もう拭かなくてよさそうだな」

 

 乾いてみると、この半獣の仔の毛並みはさらにふわふわと空気を含んで暖かそうになり、ころころと愛らしくなった。
 傷をもう一度真水の湯冷ましで洗い、また少しだけ酒を垂らそうとして、彼は何か空中に漂う声をを聞くような顔をして少し手を止め、何も塗らずに幅広の皮のリボンで巻いた。
 
「褒むべき膿こそ傷を癒しむる、んだそうだ。痒くても我慢してくれ」
「ひゃん」
「君を洗っているとき思いついたんだが、名前があると便利なんじゃないか」
「ぐふ」
「私は君をルピと呼ぶことにする」

 

 ルピは狼という意味だが、分かっているのかいないのか、澄んだ瞳がもの言いたげに彼の顔を見上げた。

 

「君にもたぶん本当の名前があるんだろうが、それは大事にとっとけ。別に知りたくもないし、名前はあまり触れ回るものではないらしい」

 

 彼は母から、何とも知れぬ相手にはくれぐれも自分の名を教えぬようにと言われて育った。理由を尋ねると


「世が世なら、名前とアイディを知られたというだけで何もかもを失うことがあるのよ。私がいた場所ではあまり名前を触れ回るのはよくないことだったわ」


と母は微笑んだ。その顔は蜂蜜の色を帯び、東方からの奴隷商人が連れてくる女たちに少し似ていた。
 

「アイディって何ですか?」
「その人がその人であるという印のこと」
「私にもあるのですか?」
「……誰にも読めないけど、たぶんあるわ」
「どこに?」
「世が世なら、わかるのよ。ピッて音がする道具で、魔法みたいにね」


 母はそう言いながら、何かをなぞらえて人差し指と親指で輪を作り、彼の目に当てる仕草をした。
 世が世なら、を口癖にしながら、その世がいつの世なのか、母が語っても語っても、彼にはイメージできなかった。
 しかし母は、ただ一人の息子に、誰もイメージできなかったものを与え、一昨年他界した。
 不思議なことに、母の遺体は空中に溶け崩れて消えた。墓はない。
 抜け殻の衣類や指輪は、残された息子が生命を維持するために売ってしまった。あのフリンジの付いたショールのようにまだ使っているものもあるが、売れないものは、小さく切って様々なことに使っている。例えばそう、ルピの包帯などに。

 

「仮とはいえ、君の名前を知ってしまったので私の名前も教えておこうか。私は……何にしようかな」

 しばらく考えて、彼はこう言った。

 

「クレド、でいいか」

 無意識に、彼は|信じる心《クレド》という古い名を選んでいた。

 ルピの湿潤療法を始めてから一週間が経った。

 その間、おしゃべりがしたかったのか、じわじわと口吻と体毛を短くし人間に近い姿になろうとしたがそのたびに叱責され、もとのオオカミの姿に戻ること数回。
 動物は好きだが人は嫌いだ、と奇妙な説教をされることも数回。

 革のリボンの下には膿と浸出液が溜まったが、それがこの療法のきもで、ある程度の通気と抵抗力がありさえすれば、傷は浸潤された状態で新しい細胞に置き換わり、痕は目立たなくなる。
 クレドが判断した通りにこの人狼の仔の免疫力は大したものだった。何しろもう右脚を再訪された翌日から、脚をひきずりつつもどたどたと走り回っていたのだから。
 走り回るのを呼び寄せて、右脚の傷跡から黒い絹糸を抜き取ると、深く刻まれた傷のあわいを桃色の肉芽が埋めはじめ、もはや浸出液は出ていなかった。
 人間ならば少なくともひと月はかかりそうなものなのに獣人というのはなんと頑強なのだろう。

 治癒能力と食欲は比例しているのか、ルピはよく食べた。
 クレドが苦労してここまで運んだ半月分の食料は、彼自身は思いきり節制したにもかかわらず一週間で失われてしまった。雪を溶かしたうまくない水と粗朶だけは潤沢にあるので、しまいにはひどく薄めたパン粥をすするほどになっていた。 
 つましい暮らしをしているクレドにはルピの食欲は脅威だった。
 
――もうここへは置いておけない。

 次に晴れた日に、ルピを森に返そうと彼は決めた。

 ルピは、食事の時以外はある程度の慎ましさを見せながら、おずおずとなついてきている。
 クレドは母の書き綴った本を読みながら、雪に閉じ込められて退屈しているこの灰色毛玉をうるさそうにしていた。
 そのくせ、その辺の藁を枯れたつる草で丸めて作ったボールを投げ、ルピに拾ってこさせるという他愛もない遊びを飽きずに繰り返す。
 薄情そうな見てくれのわりに、クレドは動物が好きだった。
 人と関わりを持とうとしないくせに、人の飼っている犬や猫や羊や牛はよく目で追っている。森の奥まで迷い込んできたのがいると、人目がないのを確認してから撫でくり回す。そうやって少し遊んでから、村の牧草地へ連れて行ってやる。十四歳にして相当な変人であるからというだけではない。家畜泥棒とみなされると袋叩きの末に殺されても仕方がないのだ。
 一方、家畜たちは森が狼たちのテリトリーだとわかっているので、人間に出会えたのは千載一遇の幸運、とされるがままになりつつも、クレドに撫で回されるのはあまり嬉しそうではなかった。どうも彼は動物には好かれない類の人間らしかった。

 とにもかくにも、だ。
 情が《《これ以上》》移る前に何とかしなければならない。
 この先、自分の身すら養えるかどうか危ういのに、この大喰らいの面倒までは見られない。

 三日後、なんとか雪が止み、静かな薄青い空が広がった。
 冷え込んで雪はかちんこちんに凍り付き、滑りやすくなっている。
 クレドはひん曲がったアイゼンを荒縄でブーツにくくりつけ、幼い人狼を従えて小屋から出た。

「やっと晴れたなあ、ルピ」

 クレドはあの日と同じ、何の毛で織ったのかわからないちくちくごわごわした毛布を被って、森の奥へ向かう。彼女はその後をついて歩きながら、うぉふっ、と返事をした。

 アイゼンの立てる固い音が響く。
 小さな半獣の仔は久しぶりの外出に機嫌がいい。何度も何度も足を止めてそこらじゅうの匂いを嗅いでは、先行くクレドの後を追う。
 そのうち、彼が小さく何かを歌っているのを聞いて、ルピは彼の前へ小走りで出て、振り向いた。耳を前へ向けてきりっと立てている。
 クレドは歩きながら、あの「ぶじにおうちへかえれるうた」を歌っていた。
 彼に合わせてちょこちょこと歩きながら、ルピは人間の薄白い呼気を見上げ、神妙な面持ちで聞いている。
 歌い終わると、彼は立ち止った。そこはちょうど森の湧き水が小さな流れを作っている水場だった。氷を透かした下にちょろちょろと水が流れているのが見える。

「元気になってよかったな」

 そう言いながら、擦り切れた手袋をはめた手で小さな頭を撫でる。
 そして手袋を外して、手触りを楽しむようにもう一度撫でた。

「そろそろ、君もおうちに帰れ。家族が待っているだろう?」

 ルピはぽかんとした顔をした。
 なぜ今? と言わんばかりの顔だった。

「もう少し傷の様子を見てやってもよかったんだが、すまない、もう君に食わせるものがないんだ。家族に食わしてもらってくれ」

 人間と彼らはあまり親しくすべきではないのだ。
 森の申し子は森に返さなければならない。

「帰ったら、一族郎党にできるだけ人間は襲わないでくれと伝えてくれ。特に私を」

 クレドは人差し指で、己が胸をトントンと叩いて見せる。
 聞いた言葉を反芻するようにしばらく考え込んだ後、ルピの口吻がまた短くなり始めた。手が人間のかたちになってくる。
 こうして見ると、人とオオカミのはざまの形態というのは、クレドが幼いころに見た、異国からの朝貢品だったヒヒに似ている。
 
「やめろ。人の格好になるな。こんなところですっぱだかのお嬢ちゃんは見たくない」

 召使にでもやるように、小さく手を挙げて制止する。
 ルピはそのヒヒに似た姿のまま変に抑揚の付いた声であうあうと喋った。よほど伝えたいことがあるのだろう。

「じゃあな。元気に暮らせよ。罠には気を付けるんだぞ」
「あうあう」
「うんうん、わかった。お別れの挨拶は十分だ」

 取り付く島もないクレドの様子にイライラしたのか、ルピは猿そっくりにそのあたりを駆け回った。そして滑って転び、しかめ面でクレドを見る。

「ほらさっさと行け。みんなが待っているんだろう?」

 クレドはくるっと背を向けた。
 ルピののどから、がっという声が出た。
 少し安堵したような、不安なような声だ。
 
「追いかけてくるなよ? 私はかつかつで暮らしてるんだからな」

 首だけで振り向き、彼はちらっとルピを見た。
 クレド自身は気が付いていないが、彼の所作に時々、ぞっとするような艶やかさがある。十四歳という年齢に相応しくない、力で捻じ伏せたくなるような、冷たく不思議な色気だった。
 ところが、そんな眼差しで言うにはずいぶんデリカシーのない台詞が、薄い唇からどんどん出てくる。相手の気持ちへの配慮が欠如している性格らしい。
  
「礼ならいらん……まあ、私が食いっぱぐれないように何か持ってきてくれてもいいかもな。うさぎとか鱒とか」

 そう言った後、クレドは卑しい申し出をしてしまったような気がしたのか顔をしかめてしばらく黙り、そのまま振り向かずに歩き去った。
 その後ろ姿を、ルピは青い目でずっと見送っていた。

 その夜、彼はベッドの中でいつもよりも体を丸め、枕代わりの丸めたショールに顔を埋めていた。
 十四歳らしく、自分に対してまで自分を取り繕いたい少年期な真っただ中。
 夜になると寂しくなってしまい、寂しがっている自分に気づいてまた傷つくという面倒くささ。
 ルピとよく遊んでいた藁のボールを見ると嗚咽してしまいそうなので、目に入るのを恐れるややこしさ。
 彼はそんなこんなをぶちこんだ坩堝のような思いを抱えて涙していた。
 
――こうなるのがわかっていたからいやだったんだ!
――畜生!!

 ドアをひっかく音が聞こえないかとしばらく待っていたが、誰も訪れる様子はない。クレドはとにかく気が滅入ってしょうがなかった。

 そのベッドの上を、握りこぶし程度の黒い塊がふわふわと飛び始める。
 陽炎のように黒い粒子を揺らめかせ、吹き寄せられた煤の粉のようだ。
 そろっと、ベッドの羊皮の中から痩せた腕が出てきた。
 黒い、輪郭がはっきりしないものはその手にすり寄るように近づく。そして、少し荒れた白い掌に、もやもやと渦を巻いて憩った。

「……お前がいてくれるから、いいか」

 その呻き声は、黒い塊から何の慰めも得られていないようだった。
 

 

 

 

        <たぶんつづく> ​

 

 

 

 

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