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雨降らしの珠

 今日も快晴だ。

 今年は空梅雨で、この夏は渇水が予想されている。

 誰もが一雨欲しいと思っているさなかだ。

 

 彼はある日曜日、海沿いを散歩中に透明な珠を拾った。

 古いボートが朽ちるままに放置されているあたりで、半ば埋まっているのが光って見えた。大きさは鶏の卵程度だ。珠の中に少し歪な空洞があり、無色透明の液体とほんの少しの空気の粒が入っている。モース硬度が低そうで、爪でも傷が入りそうだ。そして、不思議なくらい軽く、少し遊色反応がある。

 海洋生物由来のものかもしれない、と彼は思った。

 彼はこの謎の珠をとりあえず拾ってボディバッグに入れた。

 

 砂浜をまたぶらぶらと歩いているうち、彼はふと、背後に気配を感じた。

 振り向くと、小柄な少女が彼のほんの三歩ほど後ろにいる。黒に白の水玉のゴシックロリータ風の服を着て、黒いうさぎの耳を付けている。ワンピースの長い裾は砂に汚れ、たっぷりしたレースのトレーンまで砂まみれで引きずっている。不思議なことに、彼女からは足音も衣擦れも聞こえない。その代りに聞こえるのは、ふうふうと苦し気な呼吸の音、それから粘り気のある水音だ。彼はこの暑いのにそんな服を着ているからだ、と思った。

 彼はそのまま歩き続けたが、彼女は尾行を隠す気もないらしくぴったりついてくる。

 とうとう、彼は引いた潮が渇き始めている際でくるっと振り向いた。少女も彼の前に仁王立ちし、紫色の瞳で彼を睨みつける。

 彼は尋ねた。

 

「なんでついてくんの? なんか用?」

 

「ちょっと、あんた、あたしのあめだま、持ってるでしょ。返してよ」

 

 彼女はひどく汗を搔き、苦しそうだった。彼はポケットから溶けかけたフルーツキャンデーを取り出した。

 

「これ?」

 

「ふざけてんじゃないよ! そんなのでごまかそうとしたって駄目なんだから! 返して!」

 

「あめだまって、食べるやつだろ?」

 

「違う! 食べものじゃない!」

 

「どんなやつ?」

 

「丸くて、水入ってるやつ! 返して!」

 

「もしかして、これ?」

 

 彼があの玉をボディバッグから取り出すと、少女は悪態をつきながら引ったくった。

 

「そうよ! 最初から大人しく出せばいいのよ、泥棒! ずっと探してたんだからね」

 

「落ちてたのをたった今見つけて拾っただけなのに泥棒とか言うなよ。それに、それが君のだっていう証拠は?」

 

「じゃあ見てなさいよ」

 

 彼女は体を捻って服をたくし上げ、驚異的な身体の柔軟性を見せながら珠を腰のあたりにむにゅっと入れた。彼女の服の中がちらりと見えたが、そこにあるのは下着でも肌でもなく、濃い紫色の煙のようだった。

 ぐっと力を溜めたあと、彼女は叫んだ。

 

「いっくぞーーー!」

 

 ウサギの耳がぴょこぴょこ動く。彼女はちゃかぽこちゃかぽこと踊り始めた。

 彼は呆気に取られて見ていたが、その頭にぽとんと何かが落ちてきた。

 大気の温かさを吸った雨粒だ。

 それはまばらに、そして徐々に密度を増しながら白い尾を引いて落ちてくる。

 

「ほうらね! あたしのものなんだから! あたししか使えないんだから!」

 

 五分で快晴から土砂降りに。少女は勝ち誇っていた。

 

「え、すごい……君、超能力者とか?」

 

「いい歳こいてあんた、厨二病? キモいからやめてよね」

 

 少女の悪態は変わらない。彼はなおも尋ねた。

 

「じゃあ、まさか、神様? 水神様とか……龍神様? そういえば龍神様は玉が大好きって聞いたことある!」

 

「そんなのじゃない! いるかいないかわかんないのと一緒にしないでよね」

 

 バカバカしくてやっていられなくなったのだろう、少女はキレ散らかしながらざぶざぶと海へ入っていった。

 そして、振り向いて別れのあいさつ代わりに怒鳴った。

 

「あたしはね、アメフラシよ! 実在するんだからね!」

 

 アメフラシは最後まで態度が悪かった。

 そしてその年、いつもの梅雨と同じ程度には雨が降った。

 

           <完>

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