割烹「珊瑚」
それは、瑠璃色の鱗であった。
私はそれを矯めつ眇めつした後、板場で忙しく料理している彼に声をかけた。
「すみません、あのー、これが料理に入ってたんですが」
皿を捧げ持って見せる。
彼はみるみる険しい表情を浮かべ、私は言葉が尻すぼみになる。
「は? あなたのじゃないですか」
「いえ、私のじゃありません。色が違いますし……」
申し開きができないとわかると、彼は顔を顰めた。声を聞いて、奥で洗い物をしていた女性が出てくる。
「あら、どうかなさいましたか」
「あのぅ、これが、オーダーしたお料理に入っていて……」
「あらっ! あらあらあら!」
女性は驚いて大声を出した。
この女性は彼の母親で、長年このお店を切り盛りした女将だ。温かい人柄で、誰からも愛されている。私も子どもの頃からこの店に通い、ずいぶん可愛がってもらった。
最近調理師免許を取った息子が板場に立つようになり、喜んでいる母の心情を思うと、私は心が痛んだ。
「ごめんなさいね、すぐ作り直しますから」
女将は私に詫びると、それから息子に詰め寄った。
「これ、どう見てもあんたのでしょ! 謝りなさい」
私は臆病者なので、女将の剣幕に自分が怒られているような気分になった。
「すみません、なんかこんなことで騒いで……かえって恐縮です」
女将は申し訳なさそうに眉根を寄せる。その表情がまた、息子とそっくりだ。
「お客さんにお出しする料理に鱗なんて、こんなことなんかじゃありません。ほら、ちゃんと頭下げて!」
女将が若い大将を小突く。
「……すみませんでした」
彼は不承不承に謝った。
この店はうまい食事処として最近TVや雑誌にとりあげられ、彼は得意満面だった。だから、だんだん客に対して感謝や礼儀を忘れてきているのだと女将はぼやきながら息子を叱る。母の剣幕に押されて、彼はその一皿は無料にさせてくれと頭を下げた。
結構値の張る一品だったが、ありがたく値引いてもらった。
それから女将を交えて世間話をして、少しずつ場が和んだ。雰囲気が緩んでくると、彼は、板場を任されて肩肘張っていたと認めた。最近のメディア露出のせいで性質《たち》の良くない客に何度も当たり、店を守るという責任感が悪い方に向かって、つんけんした態度をとるようになっていた、とも。
きっと彼も根は善いのだろう。
私は楽しく、おいしく食事を終え店を出た。
若きアオブダイの大将とその母親は、店頭まで出て見送り、すみませんでしたともう一度頭を下げた。お辞儀のとき、大将の側線近くに一枚、鱗の剥げたところが目に入り、可笑しくなった。
「チョウチョウウオさん、お見限りなくまたいらしてね」
「ええ、また寄らせていただきますね」
私は扁平な黄色い体に穏やかな流れを受けながら、海面を見上げた。
薄桃色の小さなものがふわふわと舞う。今夜はサンゴが卵を産んでいるらしい。
私は顔のまわりを漂うそれをよけ、一つ無駄に右の胸鰭を振ってから家へ向かって泳ぎ出した。
[了]