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どこまでも、あなたのために

 

 まずこう言わせてください。

 

 いつもありがとう。

 

 私のようなものを必要としてくれるあなたが、私は大好きです。

 

 今年の車検も、よろしくお願いしますね。


 

 私はあなたのお父さんの車でした。

 

 突然の脳卒中で倒れ、亡くなってしまうその2時間前にもお父さんは私に乗っていました。

 

 お父さんの脳幹に病変が起きたのが、私に乗っているときでなくて本当によかったと思っています。

 

 お父さんが倒れて救急搬送され、私はお父さんが買い物に来ていたショッピングセンターに数日ぽつんと停められたままでした。

 

 あのときは、とても悲しくて心細かったものです。

 

 私を迎えに来たあなたのお母さんは、私の中で長いこと泣いていました。

 

 それから私はあなたのお母さん、妹さんと乗り継がれ、今はあなたのものとなっています。

 

 あなたはペーパードライバーで、実技補修を20時間以上も受けた人です。

 

 私はとても不安でしたが、あなたが意気込んでペーパードライバー教習に出かけていき、しょげて帰ってきたのを見ると、何だかちょっと可笑しかったです。

 

 そしてこれまで、仕事上必要であっても、まして自分のためになど決して車を運転しようとしなかったあなたが、小さな娘たちのためならとハンドルをこわごわ握った時、私もあなたといっしょに頑張ろうと思いました。


 

 私は、もう20歳を迎えようとしています。

 

 あなたの夫が、私をおもちゃみたいなボロ車と呼んでいるのも知っています。

 

 あなたがともすると、新しい綺麗な車に心を動かされそうになるのもわかっています。

 

 それは仕方のないことです。

 

 新しい車は本当にきれいで、私にない機能もいっぱいついています。

 

 だけど、あなたの夫が買換えを勧めてきた時も、あなたは『父の形見だから』と私を手放しませんでした。

 

 そして私に乗って遠出するとき、あなたは必ずお父さんに道中の安全を願っていますね。

 

 あなたが、後部座席に乗せた小さな娘を思う気持ちと同じものを、亡くなったお父さんに期待して。

 

 あなたは怠け者で、運転が下手で、私は小さな傷だらけだし、あまり磨いてもらったこともありません。

 

 きっと私の洗い方さえ知らないんでしょう。

 

 でも私は、あなたの信頼があり、かつ私の寿命が続く限り、私はあなたのためにどこまでも走りましょう。

 

 ええ、言葉の通り、どこまでも。

 

         おしまい

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