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縁日のお姫様

 姉から強引に預けられた姪の香子(きょうこ)の手を引いて、歩(あゆむ)は神社の縁日へ行った。

 金魚の柄の浴衣を買ってきて着せると、香子はお姫様みたいとはしゃいでいた。夏祭りは生まれて初めてなのだ。

 ノスタルジックな裸電球の下におもちゃを並べているくじ引きや射的の露店に、彼自身はあまり興味がない。しかし香子は興奮しっぱなしだ。

 

 道々、歩は姉が言っていたことを反芻していた。

 

――あんた、子どもができない体なんだってね

――それで婚約破棄されたんだって? 超ウケるんだけど

――この子、邪魔だからあんたにあげるわ

――寂しい老後まっしぐらのあんたに恵んでやってんだから感謝してよね

 

 数年間音信不通だった姉が、住所をどこで知ったのか、昨晩いきなり歩のアパートへ押しかけてきて、香子を置いていった。

 自分は独り身の男であるから子育ては無理、と食い下がると、姉はにやっと笑ってこう言った。

 

――ほんとに要らないから、どう使ってもいいわよ

――一応女だから使い道はあるんじゃない?

 

 思い出すと反吐が出そうだった。姉自身がそういう人間だから、そういうことしか頭にないのだろう。

 

 風呂に入れてやった時見た香子の体は異様なほどにやせ細り、垢まみれの肋骨がぞろりと浮いていた。幼い皮膚には無数の痣や火傷の痕がある。

 姉は多くの男にちやほやされていないと生きていけない女だ。父親がわからない子を妊娠した、と聞いたときからこうなることは目に見えていたが、我が子の顔を見て今度こそ真人間になってくれるかも、と両親も歩も期待して、それがこのざまだ。

 

 姉への連絡はもちろんつかない。連絡がつきそうな通信手段はすべて着信拒否されていた。

 とにかく今、この場では、香子の保護者は歩だ。ちゃんと食べさせてちゃんと着せてちゃんと寝かせて……そういう責任は歩にある。

 田舎の両親は、末期がんの祖父と認知症の祖母を抱えていて、幼児の面倒を見るのは無理だ。児童相談所に連絡するのが順当だろうが、歩はこの年端もいかない姪を叩き出すのを少しためらってしまっている。

 

「香きょうちゃん、欲しいものがあったら言っていいんだよ。何でも買ってあげるよ」

「でも……」

「何?」

「お母さんは欲しいものを言うと怒ってたよ」

「お母さんはお母さん、俺は俺。怒りゃしないよ」

 

 わかったようなわからないような顔をしながら、香子は焼きいかの屋台でゲソの串を指差した。食べたことはないが、匂いがとてもおいしそうだから、という。歩が買い与えると顔中を汚しながら食べ、見ているほうが哀しくなるような屈託ない笑顔を浮かべた。

 それから歩は香子がちょっとでも興味を示したものはすべて買い与えた。水風船を釣り、くじを引かせ、射的もやらせた。

 香子はもう、有頂天だ。こんなに甘やかしてもらえたのは物心ついて初めてなのに違いない。

 

 香子はどれだけ食べるんだと言いたくなるほどいろいろと食べた。一方で、歩は突然香子を預けられてからというもの軽い胃痛が続いていた。今も食欲がない。

 たこ焼きをねだった香子が、金を払おうとする歩の顔を見上げて訊ねた。

 

「歩さんは食べないの?」

「俺、あんまりお腹が空いてないんだ」

「一緒に食べようよ」

 

 真っ直ぐな瞳に見上げられ、歩は笑って見せた。

 

「わかったよ」

 

 結局たこ焼きを二パック購入し、二人並んで境内の隅のベンチに腰かける。

 たこ焼きは、食べよい温度まで冷めていた。

 

「おいしいね」

「うん、おいしいね」

「食べ終わったら、もう良い子は寝る時間だよ。帰ろう」

「でも、お母さんにお土産買いたい。お店にね、きれいな指輪があったよ」

「へえ」

「お母さん、喜んでくれるといいな」

 

 露店の安っぽいアクセサリーを買っても、高級品が大好きな姉は身に着けないだろう。そもそも渡せる日がいつ来るのかわからないし、そんな日は来ないかもしれない。

 歩が空になったたこ焼きのパッケージをダストボックスに捨てに行き、戻ってみると香子はベンチに丸まり、くじで当てたぬいぐるみを抱えて眠っていた。

 席を外したたった二十秒ほどの間に、揺すっても起きないほどの深い眠りに落っこちている。歩は香子をもたもたと背負った。通りすがりの老夫婦が、ぬいぐるみやヨーヨー、綿あめの入った袋を、落とさないよう腕に引っ掛けてくれた。

 

 アパートへと帰りながら、歩は香子と出会ってからの様子を思い出していた。

 香子の頭にくっついた糸くずを取ろうとしたときに異様に怯えていたこと。

 独りでいること、他人に預けられることに慣れすぎている様子。

 ちょっと注意すると、ひたすら、ごめんなさいと繰り返していた声。

 どんな暮らしをしていたか、語らなくてもわかってしまう。

 

 この背中のぬくもりはひどく軽い。

 手も、背も、何もかも小さい。

 

 姉を探し出して帰すことがこの幼い姪のために善いことなのかどうか、歩にはもうわからない。

 

――ああ、なんか、涙が出そうだ……

 

 歩は目を覚ます様子のない香子を、小さく揺すり上げた。

 

 

      ――終劇。

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