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夢の庭で

 最近、庭の手入れに忙しい。

 緑の指を持っている、というわけではないけれども、私だけの庭で、土に触れ、物言わぬに植物たちに親しむのは心地よい。


 

 最初はただの荒れた更地だった。

 樹木や花を選んで植え、スレートのモザイクでプロムナードを作った。

 小さな噴水や日時計を置いて楽しみを増やし、小さな心字池しんじいけを湿地風にアレンジして小鳥を呼ぶ。

 造園を学んだことはない。西洋風でも東洋風でもなく、ただそのときになんとなく思い浮かんだとおりに作業を進めていく。それが何とも楽しい。

 

 でも、本当はそんな庭はどこにもない。

 それは私の夢の中にあって、誰にも見ることはできず、誰を招くこともできない。とても美しい庭なのに、誰にも見せられないのは至極しごく残念だ。一方で、私だけの庭を独り占めできる喜びもある。

 

 こうして目を覚ましているときも、庭のしつらえをあれやこれやと考えているだけで、夢の中にいるような気分になれる。そのうちに、文字通り夢中になってしまい、寝ていたという感覚は全くないのに周囲に起こされてはっとすることもしばしばだ。

 

 庭がほぼ完成に近づいたころ、私は庭の一角に四阿あずまやを作った。

 凝った細工の円卓と椅子をあつらえて、四季の移ろいに花が絶えぬよう種々くさぐさの草木そうもくで囲んだ。

 しずかで明るく、包み込むようにやさしいところ。

 天国とはこういう感じなんだろうな、と私は満足した。

 

 そのころからだ。

 とても奇妙なのだが、その夢の主体であるはずの私が、その四阿に行けなくなった。

 どんなに手入れしても、そこへ続く小道は消える。

 足元はぬかるみ、草に埋もれる。

 私が丹精込めてきた庭の草木が、まるで意志があるように手を繋ぎあい、私を阻む。

 

 私を通すまいとするその枝葉の隙間から四阿を見る。

 そこには、これまでこの庭にはいなかった何かが現れている。

 おそろしいほど美しく、かなしいほどに懐かしい何かが、白くぼんやり光りながら微笑んでいる。

 

 近々、きっと私に何かが起こる。

 それは、決して、怖がるようなことではないのだろう。

​     <了>

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