Infanoj de Ouroboros――円環の子
【登場人物】
西崎彩姫《にしざきさいき》
20代前半の女性。第一志望の企業に就職が決まっている大学院生。能天気。若干BL脳。元気がよく、若干空気を読んでいない演技で。
竜/ジュスト
30代後半の男性。600年前の中世ヨーロッパに生きた|魔法使い《ソルシエル》。ノーブルで冷静だが若干冗談好き。幽体離脱的に竜の姿になれる。竜の姿のときは音響効果などで大きな胸腔・口腔を持つ動物の声っぽさを出すこと。
グウィネス
20代後半の女性。後半に登場。600年前の中世ヨーロッパに生きた王族の女性。暗く、静かでどこか壊れた人形のような品のよい声。死者が話しているような効果をかけること。
彩姫の父
50代半ばの男性。優しいお父さん。冒頭部のみに登場。
彩姫の母
50代前半の女性。少々口うるさいがしっかり者のお母さん。冒頭部のみに登場。
タクシーの運転手
おじさま。出番は極少。
ウェイター
ちょっと若いおじさま。ホールスタッフのチーフ。出番は極少。
母親
30代半ばの薄幸そうな女性。出番は少ない。
子
4・5歳くらいの子ども。性別不問。純真。出番は少ない。
【演者さん・編集さん方への注意事項】
・SEやBGM等の音源は必ず権利者からフリー使用が認められているもの、あるいは著作権に関しご自分で責任が取れるものをお使いください。万が一問題が起きたとき、当方はこの件に関し責を負いません。
・エピソードの区切りは作者が字数分割の例として付けたもので、演じる際はご都合に合わせてご自由に区切ってください。もちろん、一気に通しで上演なさるのも大歓迎です。
・この作品は、随時作者が改訂しブラッシュアップしております。演じられたものとこの作品台本の文章が若干違うものとなる事態が想定されますが、どうぞご容赦くださいませ。
・タイトルのエスペラント語の読みは「インファノュ・オウロボロス」
以下本文
(一)竜と娘
SE:朝、雀の鳴く声。
母「(階段下から怒鳴って)彩姫、まだ寝てるの!? 起きなさい!」
彩姫「(階上の自分の部屋から、まだ寝ていたのをごまかすように)起きてるよー、もう」
母「(ダイニングへ向かい、声が遠くなりつつ)時間がないから早く! ほら!」
SE:彩姫が自室のドアを開ける音、階段を下りる音
彩姫「(階段を下りながら、あくび交じりに)たまの休みにのびのびしてるっていうのに、何でこんなに早起きしなきゃいけないのよー。みんな、週末は昼くらいまで寝てるって言ってたよ」
母「よそはよそ、うちはうち! さっさと降りてきなさい!」
SE:顔を洗う音
彩姫「おはよう」
SE:新聞をガサガサする音
父「(SEに被せて)ああ、おはよう」
SE:ダイニングチェアをガタゴトやる音、箸をとる音
彩姫「おー、鮭だー。いただきまーす」
母「そろそろ出るから、戸締りだけはしっかりお願いね。休みだからって羽目を外すんじゃないわよ?」
彩姫「(もくもぐしながら)はいはい、夫婦水いらずのラブラブ旅行、楽しんできてね」
父「一週間も一人で寂しくないか?」
彩姫「(もくもぐしながら)だいじょうぶですぅ」
父「なんかあったら、すぐ連絡するんだぞ。じゃあ行ってくる」
彩姫「(玄関まで見送って)いってらっしゃーい。あ、お土産は現地のと、それから羽田でエアショコラ! 忘れないでよねー」
母「はいはい、わかったわよ。行ってきます」
SE:玄関の閉まる音。スーツケースを引きずる音が遠のく
彩姫「(背伸びしながら)あー、これで一週間はフリーダム! とりあえず二度寝しよっかな!」
竜「(ため息をついて、小さく)はぁ、こんな小娘がわが敬愛する〇〇ごにょごにょとは(※〇〇ごにょごにょは聞き取れないように)」
彩姫「(気づかず、被せて)あー、でも昨日UPした3Dホログラムアニメのレス、チェックしなきゃ……一応、私、界隈じゃ神だし」
竜「(小さめに、しかし先ほどよりは大きく。皮肉っぽく)まったく、BLとはいいご趣味だな」
彩姫「え? 今誰か喋った?」
竜「ああ、喋ったとも、サイキ・ニシザキ」
彩姫「(恐怖で息が上がる。間をおいてテンパりつつ独白)あ、強盗? 変質者?……何か、戦えるもの……えっと、傘でいいかな……いやいや、戦っちゃダメ、まず逃げて、警察呼んで……」
竜「私は不法侵入者ではないし、犯罪行為の意思もない。とりあえず落ち着いてほしい」
彩姫「何?! 誰?!」
竜「見えないのか。目の前にいるぞ」
彩姫「(びくびくしながら)……幽霊? うち、呪われてる?」
竜「呪われているのかどうかわからんが、私は人畜無害だ、安心するといい」
SE:小さくしゅうううという音を長めに
彩姫「あ、なんか、黒いのがもやっとしてる……だんだん、なんか形が見えてきた。(間)えっ? なにこれ……デカっ!! リビング半分埋めてんじゃん! なんなのこれ?!」
竜「何に見える?」
彩姫「なんか、真っ黒い……西洋の……竜……?」
竜「そう見えるなら、そうなんだろう」
彩姫「もうちょっと小さくなれないの?」
竜「そうだな、この程度ならどうだ」
SE:再度しゅうううという音
彩姫「(SEに被せて)牛くらいの大きさになった……」
竜「密度を変更したからな。想像上の生物は想像で何とでもなるから便利だ」
彩姫「そういうもんなの?」
竜「そういうものだ。落ち着いて話ができるようになったか?」
彩姫「うん、そこそこって感じ。ねえ、どっから来たの」
竜「600年間、そこに飾ってある石の中にいた」
彩姫「え? 大事にしないと祟るって言われて母方に引き継がれてきた何の変哲もないりんごくらいの大きさの石?」
竜「メタいご説明ありがとう」
彩姫「どういたしまして……ねえ、なんでそんなとこにいたの」
竜「死ぬのが嫌でここに閉じこもっていた。今でいう東欧の北側にいたが流れ流れてこんなところまで来てしまったんだ」
彩姫「すごい! 死ぬのが嫌って……あなたなんかやらかしたの?」
竜「やらかしすぎてもう思い出したくもない。妻にも散々怒られた」
彩姫「奥さんいたんだ? やっぱり竜女子?」
竜「妻は普通に人間だ」
彩姫「えっ?! 異種婚?! まじファンタジー!」
竜「異種じゃない。私も人間だぞ」
彩姫「はあ?! さっき竜っていたじゃん! どう見ても竜じゃん」
竜「説明がめんどくさかったからな」
彩姫「めんどくさがんないでよ!」
竜「(めんどくさそうに)……私は人間で職業はソルシエルだった」
彩姫「ソルシエルって、あ、魔法使い?!」
竜「私は魔法使いというより博物学者だったがな。話を戻すが、この姿は私のアストラル体。まあ、簡単に言うと、意思と生体エネルギーが私のイメージデザインで固定された姿だ。人間としての体は別に保管されている」
彩姫「アストラル体かあ……すごいねえ。かっこいい」
竜「600年前の人間だから、現在の審美眼では多少厨二ゴシック風味の見てくれでも勘弁してほしい」
彩姫「リアルタイムのゴシックは厨二じゃないよ! ねえちょっと触ってみていい?」
竜「どうぞ」
彩姫「わあ……ちゃんと質感がある……鱗とか棘とか生えてるし骨も肉の感じもある! なんか蛇とかトカゲっぽい!」
竜「妻もよく言っていた」
彩姫「羽もすごいね! これ、飛べるの?」
竜「まあな」
彩姫「まんま爬虫類とコウモリの合体だね……ねえ、あなたの人間の体はどこにあるの?」
竜「一応、死んではいないが仮死状態だ。ここから一番近い海岸にいるはずなんだが」
彩姫「え。めちゃくちゃ近いじゃん」
竜「棺に入れられて、いつも私の居場所からそう遠くない海にいる。肉体と幽体は揃ってやっとこさ一個の生物だ。離れすぎると死ぬから、妻に追尾するよう呪いを掛けさせた」
彩姫「奥さん、魔女?」
竜「(ため息)普通の人間だったはずなんだがなあ……少し要らんことを教えすぎて反省しきりだ」
彩姫「ふーん。ねえ、体、取りに行かないの?」
竜「妻が棺に封をしている。……誰かが壊せばいいんだが」
彩姫「手伝ってほしいってわけ?」
竜「そうだ。そのためにサイキ・ニシザキという名を持つ娘が生まれるまで600年間待ったんだからな」
彩姫「どういうことよ。私を待ってたって、600年前から私が生まれるのわかってたの?」
竜「もちろん。君が東洋に生まれることは私が存在することで立証済みだ」
彩姫「え待って?! 意味わかんない」
竜「だろうな」
彩姫「私って予言されるほどすごいの?!」
竜「……それは……現段階ではすごくない」
彩姫「どういうこと?!」
竜「体を取り戻してからでないと詳しくは話せない」
彩姫「じゃ、とりあえず手伝ってあげる! ね、ロードムービー撮っていい?」
竜「棺の中にあるのが、まさか君のフォルダーに入ってるBLキャラみたいなやつだと思ってないだろうな」
彩姫「見たの?!」
竜「見えてしまうんだから仕方なかろう。君のフォルダーは軟弱そうな男が絡み合ってる立体映像ばかり。しかも自作と来た。正直がっかりした」
彩姫「いやあああああああああ!」
竜「さあ、ショックを受けている暇があったら早く我が肉体と再会させてくれ。行くぞ」
彩姫「そのカッコで? それはヤバいと思う」
竜「ではそこの石に戻ろう。運んでくれ」
(間やBGMで場面転換を示す)
(二)海に降る雨
SE:タクシーのドア音
タクシーの運転手「おはようございます」
彩姫「(乗り込みながら)おはようございます。えっと、紙垂丸しでまる海岸までいいですか」
運転手「あ……お一人で?」
彩姫「いえ、現地で知り合いと待ち合わせてます。写真が趣味で、海の写真を撮ろうかって……あっあのっ変な写真じゃなくて、イソギンチャクとかヒトデの写真を撮ろうって……」
運転手「(安心したように)じゃあ、どうぞ」
彩姫「ありがとうございます」
SE:タクシーの発車、走行音
竜「(バッグの中からくぐもった小声で)歩いていける距離だろう……」
彩姫「(小声で)何言ってんの! 一番近い海岸って、ここから7キロも先なの!」
竜「昔はそのくらい普通に歩いていたぞ」
彩姫「この石純金かってくらい重いんだもん! これ抱えて7キロとか無理」
運転手「え? どうかしましたか?」
彩姫「いえ、ちょっと音声チャット中で……」
竜「なぜこの男はさきほどからこちらの動向を気にしているんだ?」
彩姫「一番近い海岸って言ったら紙垂丸っていうとこなんだけどね、自殺の名所なの。だから一人で行く人を見ると心配しちゃうんだと思う」
竜「(少し考えたあと)場所の選定が悪かったな。そんなところとは知らなかった」
彩姫「ねえ、ちょっと訊きたいんだけど」
竜「何だ」
彩姫「あなた、名前は」
竜「ジュスト、という」
彩姫「正義って意味だね。いい名前!」
竜「将来子どもにつけるとよかろう」
彩姫「日本でそんな名前つけると、キラッキラして目立っちゃうよ。私の名前も結構きらきらしてて恥ずかしかったりするんだよね」
竜「……サイキというのはプシュケーの英語読みだろう?」
彩姫「あ、よくわかったね!」
竜「母が教えてくれた。意味は、いのち、こころ」
彩姫「よく知ってるね。痛くて恥ずかしいよ。……あ、着いたよ」
SE:タクシーを降りる音、タクシーが走り去る音。海風と激しい波の音
彩姫「ほら、降ろすよ。この岩陰なら誰も来ないと思う」
SE: しゅうううという音
竜「(ぼやいて)ああ、こんな小さな石に出たり入ったり、老体には堪える」
彩姫「あんまり天気がよくないね。波も高いし」
竜「これくらい天気が悪いうちには入らん。……でも……、あ」
彩姫「何よ」
竜「ない」
彩姫「何が」
竜「私の体が」
彩姫「はあ?」
竜「あまり遠くはないがここにはない……今日は大潮だったな。引き潮に乗って海中へ戻ってしまった。離岸流もきつそうな地形だしなかなか厳しいな」
彩姫「はあ? 追尾魔法かかってるんじゃないの?」
竜「魔法みたいな根拠のしょぼいもので厳然と存在する自然の力に逆らうのがどんなに大変かということだ。私は海には入れない。満潮まで待つか」
彩姫「それっていつ」
竜「おおよそ6時間半後だ」
彩姫「7時間もここで待つの? 雨降ってきたよ」
SE:竜が翼を広げ、雨を受ける音。雨音。
竜「私が傘になろう。ここは岩陰で風がしのげる。これで問題あるまい」
彩姫「(嫌そうに)それが……あるんだなあ」
竜「なんだ」
彩姫「そこにね……お地蔵様が何体も立ってるんだよね……ここ、そういう場所だから」
竜「そういう場所とは?」
彩姫「自殺の名所だって言ったじゃん! この崖の上から飛ぶ人が毎年何人もいるんだよ」
竜「ああ、そういう話だったな……(お地蔵様に向かい)少々ここで時間を潰させていただきたい。失礼仕る。(彩姫に向かって)これでよかろう」
彩姫「怖くないの? 幽霊とか……あー、もう! 口に出すと集まってくるっていうから話したくなかったのに」
竜「人死になどよくあることだろう、何ということはない。私の生きてきたころはそのへんにごろごろ死体が落ちていた」
彩姫「えっ」
竜「自然死のもそうでないやつもだ」
彩姫「(しばらく考え込んでから)ねえ、ジュスト……あなたがソルシエルだったころ、何で体から抜け出して竜の姿になる必要があったの? 何か目的があったんでしょ」
竜「必要というより、最初は先天的なものだったんだ。(しばらく黙ったあと重い口で)一人でいたころは今でいうドローンのような使い方をしていたが、しまいには街を襲い、人を殺すようになっていた」
彩姫「ジュストは理由もなしにそんなことするようには見えないよ。誰かに命令されたの?」
竜「命令はされなかった。ただ周囲からそう仕向けられて(後悔しているように)……ああ、そんなことは言い訳にならん。醜い弁解だ」
彩姫「(ぽつりと)……なんとなくだけど、ジュストって人を殺したことがあるような気がしてたよ」
竜「私は一度も望んで人を殺したことはない」
彩姫「うん、そうだと思う。信じる」
竜「信じてくれるか」
彩姫「不思議なんだけど、ジュストに会ってからずっとね、怖いとか嫌いっていう感じがないの。なんかね、変なんだけど、一緒にいるとふわーっとするっていうか、お世話してあげたくなるの。私が味方してあげなきゃっていう感じ」
竜「(暗く、小さく)……それは」
彩姫「(竜の台詞に構わず)ジュストって棘だらけの巨大トカゲなのに、なんかすごくかわいい気がするの。あ、ペットみたいな感じとはちょっと違ってね、……うーん何て言ったらいいんだろう? よくわかんないんだけど、なんか、ちょっと、母性本能くすぐる、みたいな? とげとげのでっかい竜なのにねえ。 あはは、ほんと自分でも何言ってんのかわかんないんだけどね。(間)あれ、どうしたの黙りこくっちゃって。気分悪くした?」
竜「いや」
彩姫「あのね、ちょっと思ったんだけど……脳にナノサイズの電位測定器入れて、特定のイメージをディスプレイに表示するっていう技術があるの。もうそれはエンタメ的にも実務的にも実用化されてるんだけど、ちょっと危険だからイメージドナーになる人はまだ少ないの」
竜「(心持ち暗く)そうか」
彩姫「3Dで立体映像にもできるし、ちょっと工夫すれば質感も与えられるはずなの。その技術に似てるね」
竜「(息をのむ)」
彩姫「(徐々に賑やかに)……私ね、大学院でそれ研究しててさ、企業とタイアップで資金も死ぬほど潤沢でさ、すごく楽しかったんだ。イメージオブジェクトに物理的なテクスチャを添加する方法考えて論文書いて、教授の名前ではあったけどいっぱしの学術雑誌にも載せてもらったし。でね、それやってる企業の開発部門に就職することになってんの! 名指しで、私を雇いたいって! 子どものころからすっごく憧れててさ、ほんとラッキー! 大学院に通いながらでいいって言ってくれたし、博士資格を持った人材確保のために学費も援助してくれるの! 私、業界トップランナーの研究に携われるんだよ! 私もイメージドナーになってさ、ひょっとすると想像上の動物が出せるようになるかもなの! これも何かの縁だね」
竜「やめとけ」
彩姫「え?」
竜「それは、誰も幸福にしない」
彩姫「やってみなくちゃわかんないじゃん」
竜「科学者の実践欲が生み出したものが核兵器であったことは記憶に新しいだろう」
彩姫「(小ばかにしたように)新しくありませんよー。だいたいさあ、核兵器とは全然別ものでしょ? これはエンターテイメント方面での民間利用しか目的にしてないし」
竜「(ため息をついた後、間をおいて)少し、静かにしていてくれ。考えを纏めたい」
(三)竜の魔法
SE:激しい波の音、ひっきりなしの雨の音、かもめまたはカラスの鳴き声で時間経過を表現
彩姫「ねえ。そろそろ7時間たったんだけど?」
竜「……うん」
彩姫「もう満潮になったんじゃない?」
竜「うん、満ちている」
彩姫「探そうよ、棺」
竜「いや、それがその……まだ着いていない。近づいてくるのは感じる。途轍もなくのろのろと」
彩姫「ええ?! じゃあまた引き潮になったらさっきみたいにどっか流れて行っちゃうじゃん。行ったり来たりじゃん! 奥さんが呪いかけたんじゃなかったの?」
竜「(ため息)はぁ……この期に及んでもこうなのか。懐かしい」
彩姫「何が」
竜「(懐かしそうに)我が奥方は私の期待をすべからく裏切ってくれる女性であったからな」
彩姫「どんくさかったってこと?」
竜「当たってはいるが、人の嫁をそのように言うな。私も彼女の言うことを聞こうとはしなかったのだから」
彩姫「夫婦仲、悪かったんだ」
竜「よくわからない。愛はあったと思うが、お互いまともな愛し方がわからなかった」
彩姫「え、それってあの……やり方がわからないっていうか……その、男女の仲じゃなかったってこと?」
竜「(ぼやくように)そういうのを面と向かって訊くなどと、どうなっているんだこの時代の教育は」
彩姫「だって、ジュストの言い方だとそう思っちゃうじゃん?」
竜「(ぶすっと)一応、子は成した」
彩姫「あ、ちょっと安心した」
竜「何とか血は絶えていない。私が封じられた石は最も東へ赴く者が持てと子孫に伝えた。それが流れ流れてサイキ・ニシザキにまでたどり着いている」
彩姫「はぁ?! それって、ジュストが私のご先祖様ってことぉ?!」
竜「残念ながらそうらしい」
彩姫「えええええええ?! マジで?! うちヨーロッパのソルシエルの血入ってんのぉ?? かっこいいじゃん!」
竜「最初、私も想定外で驚いた。サイキ・ニシザキの実在は証明されていたが、まさか私の血脈から出ると思っていなかったんでな。正直弱った」
彩姫「何で弱るの」
竜「私も腹をくくらなければならなくなった……」
彩姫「腹くくんなきゃいけない事情があるの?」
竜「(暗く)……ある」
彩姫「話したくないこと?」
竜「……体を取り戻してから話したい。もう一度、満潮を待つしかない」
彩姫「っていうか、ここでまた7時間潰して流れてくるかどうか不確定な棺を待つわけ? なんか寒いんだけど。お腹もすいたし」
竜「一度帰るか?」
彩姫「タクシー代もったいないから、あそこで時間潰そうよ。ほら、こっち来て、見てよ。向こうに看板が見えるでしょ?」
竜「あれは?」
彩姫「24時間営業のファミレス。ファミレスって知ってる?」
竜「ああ、映像でなら。7時間もいたら店に迷惑がかかるのではないか?」
彩姫「メニューをコンスタントにオーダーしてれば大丈夫だって。まずお腹空いたからなんか食べて、あとはドリンクバーとなんか軽いの頼んでたらいけるよ」
竜「財布の方は大丈夫なのか」
彩姫「だいじょうぶ! クーポンあるし。とりあえず石に入って」
竜「重いのにすまない」
彩姫「この距離なら歩けるよ。よいしょっ!」
SE:海岸の砂利を踏んで歩き出す音をフェイドイン、フェイドアウト。ファミレスのドアの開閉音。ファミレス風のBGMを開始し、ファミレスシーンの最後まで流す
ウェイター「こんにちは、いらっしゃいませ。お一人様ですか」
彩姫「あ、はい」
ウェイター「お席へご案内いたします。こちらへどうぞ」
SE:通路を歩く音、椅子に座る音
彩姫「うあー、重かったー」
SE:お冷を置く音
ウェイター「こちらがメニューとなっておりますので、お決まりになりましたらそちらのボタンを押してお呼びください」
彩姫「ありがとうございます。さあ何にしようかなー……寒かったから、ドリアにしようかな」
竜「(バッグの中からくぐもった声で)決まったか」
彩姫「うん。ジュストもなんか食べる?」
竜「私は食事は必要ないが……その……ボタンが押してみたい」
彩姫「(笑って)バスの停車ボタン押したがる子供みたいだね」
竜「ああ、今生の記念に」
SE:しゅるっという音、ピンポンという音
彩姫「尻尾で押すんだ」
竜「(バッグの中からくぐもった声で)爪が邪魔でな」
彩姫「尻尾だって棘だらけじゃん」
竜「爪よりはましだ」
彩姫「爪も棘もひっこめればいいじゃん。想像上の動物だから、想像でどうとでもなるって言ってたくせに」
竜「(バッグの中からくぐもった声で)こういうとげとげは私のレゾンデートルかつアイデンティティだからちょっとやそっとでは失くせんぞ」
彩姫「(小ばかにしたように)男子って『僕の考えた最強のヒーロー!』みたいなデザインのこだわり凄いよね」
竜「女子だって、服だのヘアスタイルだのこだわるだろう。私のは実用からこうなったんだからな」
ウェイター「(困ったように)……あの、ご注文を伺います」
彩姫「あ、すみません、音声チャットしててつい……三種のチーズたっぷりシーフードドリアセットとドリンクバーお願いします」
ウェイター「ご注文を繰り返しますね。三種のチーズたっぷりシーフードドリアセットとドリンクバーでよろしいですか」
彩姫「はい」
ウェイター「少々お待ちくださいませ」
竜「あの若者はきっと我々を奇妙なやつらだと思っただろうな」
彩姫「まあ、奇妙だしね。誰もここに魔法使いのアストラル体ドラゴンがいるなんて思わないだろうし。あ~あ、暇だからナプキンで折り紙でもやろっかな」
竜「折り紙か……懐かしいな」
SE:通路をパタパタ走る音
子ども「(フェイドイン気味に)あーおいしかったーこんなご馳走初めて食べたよー」
ママ「(寂しそうに)よかったねえ」
子ども「(彩姫のいるテーブルの脇へ来て)ママー、ここ、なんかでっかいトカゲがいるよー! ジャスティスライダーにでてきたみたいなのー! ほら、見てー!!」
ママ「え、どこに?」
子ども「ほらここー! 黒くてね、とげとげしてるのー」
ママ「(優しく)トカゲさんなの? 怖いなあ」
子ども「怖くないよ。優しそうだよ。このおねえさんの隣にいるよ。(精一杯両手を広げて)こーんなにでっかいのが!」
ママ「(寂しそうに)そう? ひょっとしたらジャスティスライダーが大好きな子にだけ見える魔法のトカゲかもしれないね……(彩姫に向かって)すみません、うちの子、空想が好きなもので」
彩姫「いえ、すごく素敵なことだと思います。(子どもに向かって)すごーい! トカゲさん見えるんだー! このトカゲね、きれいな心を持っている子だけに見えるんだよ! だからね、見えるってすごいことなの! 今、トカゲさん今何してるの」
子ども「手を振ってる……あ、やめた。恥ずかしいって」
彩姫「(小声でバッグに向かって)ジュスト何やってんの」
竜「(小声で)いや、その……人種も時も超えて、幼子にはサービスしたくなるたちなんだ」
子ども「わあ、喋った!」
彩姫「あ、聞こえるの?!」
子ども「聞こえるよ! おねえさん、このトカゲと話せるんだね! おねえさんもこころがきれいなんだ」
彩姫「いやそんなにきれいじゃないけど」
竜「(少し迷った後)子どもよ、私の声が聞こえるなら、おかあさんに『まだなんとかなるよ。やくしょにおでんわしようよ』と言え。魔法の呪文だ」
子ども「え? 魔法?」
(四)海の中の声
竜「そう、命を守る魔法だ。『まだなんとかなるよ。やくしょにおでんわしようよ』だ。ちゃんと言えるかな?」
子ども「わかった……(母親に向き直って)ねえ、ママー、『まだなんとかなるよ。やくしょにおでんわしようよ』」
ママ「(動揺する)?!」
彩姫「ジュスト! あなた何言ってるの?!」
竜「あの母親の顔を見てみろ。それから、腕や首。服から見えるか見えないかすれすれのあたり」
彩姫「あっ……」
竜「なんであんなに目に光がない? 皮膚にあるのはあざや火傷の痕じゃないのか? なぜこんな不穏な場所の近くで食事をしてるんだ? 子どもも痩せこけて、服もみすぼらしいだろう?」
ママ「(動揺しながら)すみません、うちの子が変なこと言って……ほら、行くわよ」
彩姫「あ、待ってください……これ、トカゲさんからのプレゼント!」
子ども「あ、お花」
彩姫「紙ナプキンで折ったの。ママにあげてね」
子ども「ありがとう! ママ、これもらった!」
ママ「ありがとうございます。……え? ナプキンの隙間にお金? どういうことですか」
彩姫「あの、何言ってるんだと思われるのは重々承知なんですけど、もしつらいことがあるならこれで逃げてください」
ママ「え?」
彩姫「トカゲが、子どもには幸せでいてほしいって言ってるんです」
ママ「はあ?」
彩姫「見当違いなら謝ります。自分でも頭おかしいこと言ってるような気がして怖いです。でも、つらいことや悲しいことがあったら、逃げられるところまで逃げてほしいんです。トカゲがそう言ってるんです」
ママ「トカゲなんてどこにいるって言うんですか」
彩姫「それは……」
SE:しゅうううという音
竜「出血大サービスだ。一瞬だけだぞ」
ママ「えっ」
竜「失礼、マダム。少し頭に触らせていただく」
ママ「(恐怖に凍り付き2秒ほど間をおいて)ひっ!」
子ども「わああああ! いいなあ! 僕もトカゲ触りたい!」
竜「では握手だ」
子ども「固ーい! 冷たいねー!」
竜「はい、本日はここまで。お母さんを大事にするんだぞ。バイバーイ」
子ども「バイバーイ」
SE:しゅうううという音、通路を駆けつけてくる足音
ウェイター「(フェイドイン気味に)お客様! どうなさいましたか?!」
ママ「今、そこに! そこに真っ黒いバケモノが!」
ウェイター「(不思議そうに)そこに、ですか?」
子ども「かっこいいでっかいトカゲさんがいるの。そこに隠れたよ」
ウェイター「トカゲ……?」
ママ「トカゲじゃない、あれはバケモノよ!」
彩姫「(焦り気味に)きれいな心の子供だけに見える、ジャスティスライダーのトカゲ怪人がいるんです」
ママ「嘘! 本当にいたのよ、ここに……私しっかり……見たん……見たん……だ……から」
SE:人が倒れる音
子ども「ママー! ママー!!(泣き声)」
ウェイター「お客様! お客様! すぐ救急車をお呼びいたします。(他のスタッフに向かって、フェイドアウト気味に)おーい、担架! 担架持ってきて! レジの横! そう、それ! 毛布も! 入口のソファに、うん」
彩姫「(ウェイターの声に重ねて)ジュスト、あなた、なんかやったんじゃないでしょうね」
竜「バッグの中からくぐもった声で)栄養失調気味みたいだし、貧血がちだったんでちょっと眠ってもらった。しばらく入院して人心地を取り戻すといい。自分を見つめなおすいい機会だ」
彩姫「あの子はどうなるの?」
竜「病院から役所の福祉部門へ連絡が行く。それから児童福祉施設でショートステイすることになるだろうな。食事も風呂も寝床も提供してもらえる」
彩姫「そう……」
竜「あの崖から飛ぶよりは断然幸せな結末を迎えるだろう」
SE:救急車到来の音、救急隊員の声、救急車が走り去る音
彩姫「ジュスト、意外と利他主義? 優しいじゃん」
竜「ああ、親の教育がよかったからな」
彩姫「ジュストがいい人だとなんだかすごく安心する。ううん、なんだか……誇らしい感じすらするよ。不思議」
竜「ありがとう。(しんみりと)その言葉を聞けて心から嬉しい」
彩姫「うふふ、私もね、ちょっとジーンとしてる」
竜「人を救えたからか」
彩姫「……違うの。そりゃあの親子が幸せになってくれるといいとは思うんだけど、それ以上に親の教育がよかったって聞いて、なんだかうれしいんだよ」
竜「なぜ」
彩姫「ジュストにも幸せな子ども時代があったんだったらうれしいなって。なんかふっと涙ぐみそうになっちゃったりしてさ……お腹空きすぎておセンチになっちゃってるよ、私」
ウェイター「大変お待たせいたしました、シーフードドリアセットです。こちらがドリンクバー用のグラスとカップです。あちらにサーバーコーナーがございますのでご利用ください」
彩姫「ありがとうございます。わーここのドリンクバー、ソフトクリームも食べ放題なんだって」
SE:食器の音を入れフェイドアウト。ファミレスで流れている音楽のみを10秒ほど流しっぱなしにし時間経過を表現
彩姫「(疲れたように)もう夜の9時だよ……四時間粘ってドリンクバーオーダー三回目。お腹ちゃっぽんちゃっぽんなんだけど。それにソフトクリームでお腹が冷えて……」
竜「節制しろ」
彩姫「誰のせいだと思ってんのよ」
竜「摂取量を決めるのは自分自身だろう?」
彩姫「(ため息)はぁ……」
竜「少し寝るといい。何かあれば起こす」
彩姫「うん、じゃあ寝る」
竜「おやすみなさい、あさがぶじにやってきますように」
彩姫「どうしたの? 朝になる前につぎの満潮は来るんでしょ?」
竜「(鼻をすんとやったあと)ああ、これは決まり文句なんだ。ある古い一族の就寝の挨拶だ。ちょっと言ってみたくなった」
彩姫「素敵な挨拶だね。おやすみ、朝が無事に来ますように」
SE:ファミレスのBGMを5秒ほど流した後ゆっくりフェイドインし、海の音(波の音でもOKだが海中音が望ましい)を被せる
グウィネス「(海の音の中からぼんやりと切れ切れに呼び掛けて。可能ならエコーなどの効果をかけ、この世のものではない雰囲気で)あなた……あなた……どこ……」
竜「(呟いて)ここだ……グウィネス」
グウィネス「……ああ……声が…………声が……届く」
竜「懐かしいな、我が奥方よ」
グウィネス「……怒って……いるの」
竜「怒ってはいない」
グウィネス「……時が、来たの……」
竜「ああ、来た。くれぐれも邪魔はしないでくれ」
グウィネス「(詰なじるように)……それは、あなたが……」
竜「何百年たっても私たちは喧嘩腰でしか話せないんだな」
グウィネス「……わたしはいつもあなたの思いを追っているだけ」
竜「ああ、追っておいで。今ここにサイキ・ニシザキがいる」
グウィネス「あなたは……こわくないの……」
竜「グウィネス、私は永遠に君と共にある。さあ、早くおいで」
グウィネス「……わたしはこわい」
竜「(自分に言い聞かせるように)大丈夫だ、グウィネス……大丈夫」
グウィネス「……あなた……」
竜「(少し悲し気に)……グウィネス、私は」
SE:海の音をフェイドアウトし、ファミレスBGMを合わせてフェイドイン
竜「おい」
彩姫「(寝息)……ん」
竜「もう行こう」
彩姫「あ、もう? 私2時間も寝ちゃったんだ」
竜「疲れてたんだろう」
彩姫「ジュストの体は?」
竜「もう、すぐそこまで来ている。妻がやっと持ってきてくれた」
(五)竜の背
SE:ファミレスの扉の開閉音と共にファミレスBGM終了。波と強い風の音。
彩姫「うわー、風つよっ!」
竜「雨はやんでいるな。よかった」
彩姫「じゃあ、行きますかあ……改めて見ると、ここら辺街灯少ないねー。真っ暗だよ。足元に気を付けないと」
SE:しゅうううという音
竜「(SEに被せて)確かに真っ暗、まことに好都合」
彩姫「なにが好都合……ひゃっ?!」
SE:羽を広げる音
彩姫「なっ……なに?! いきなりおんぶ?! 何のつもり?!」
竜「ご搭乗ありがとうございます。当機はジュスト航空、お地蔵様の真ん前行き、オンリー1便でございます。当機の機長はわたくし、客室を担当しますのもわたくしでございます。御用がございましたらわたくしの首の後ろのとげとげした鱗を情け容赦なく引っ張ってお知らせください。間も無く出発いたします。シートベルトはございませんがしっかりとおつかまり下さい。飛行時間は約1分を予定しております。それでは快適な空の旅をお楽しみください」
彩姫「はいぃ?!」
竜「こう暗いのならば私の色はステルスカラーだ。人目にはつかんだろう。飛べるのにちんたら地上を行く必要はない。しっかり掴まれ。行くぞ」
SE:羽ばたく音
彩姫「(フェイドアウトして)きゃあああああああ!」
SE:羽ばたく音、空を切る音
彩姫「ほんとに飛んでる?! え?」
竜「飛べると言っただろう?」
彩姫「言ってたけどさ! アストラル体が質量持ってて人一人支えて飛べるってことが奇跡だよ!」
竜「私は特別製だからな……(話をぶち切って)あっ、あれだ。見つけた。浅瀬に引っ掛かっている」
彩姫「何? え、海の中でなんか薄く光ってる??」
竜「降下する。ちょっとしっかりつかまっていろ」
彩姫「ちょっとでいいの?」
竜「……ものすごくしっかりつかまっていろ! 降下後すぐ上昇するぞ」
SE:海面を擦るようなな着水音、再度舞い上がるために羽ばたく音
彩姫「もう! 私の靴ずぶぬれになったんだけど!」
竜「気にするな」
彩姫「するよ! 何遊んでんの?」
竜「遊んではいない。やっと捕まえたんだ!」
彩姫「何をよ!」
竜「棺だ」
彩姫「えっ? ジュスト入りの?」
竜「そう、私入りの。浅瀬に来ていれば、妻の呪術で浜に打ちあがるより自分で水揚げする方がはるかに早い」
彩姫「ほんとにやっとだね。おめでとう! (ひとりごちて)……人一人のっけて、一人入った棺掴んで……凄いねえ。よく飛べるよ」
竜「降りるぞ」
彩姫「さっきみたいなアナウンスは?」
SE:羽をばたつかせる音
竜「(ちょっとめんどくさそうに溜め息)はぁ……ただいまお地蔵様の真ん前に着陸いたしました。ただいまの時刻は午後11時すぎ、気温はまあ若干寒さを感じる程度でございます。安全のため機長が許可するまでしっかりおつかまりのままお待ちください。本日はジュスト航空をご利用いただきましてありがとうございました」
彩姫「次のご登場をお待ちしております、は?」
竜「次はないんだ。私はもう帰るから」
彩姫「帰るってどこに?」
竜「私の在るべき場所へ。そんな場所もないのかもしれないが」
彩姫「どういうこと?」
竜「(答えずに)いつまでしがみついている。もう降りていいぞ、ほら」
彩姫「乗せてくれてありがと。楽しかった」
竜「ああ、私も楽しかった。もう少し乗せていてもよかったが、人間に視認される危険性がその分高まるからな」
彩姫「うん、わかってる。あれが棺?」
竜「ああ、そうだ。見えにくいだろう。今灯りを点ける」
SE:ふわっと明るくなるような効果音
彩姫「わあ……ジュスト光れるんだ」
竜「私のことはでっかいヒカリゴケの塊とでも思ってくれ」
彩姫「結構明るいね。はっきり見える」
竜「便利だろう」
彩姫「うん、便利。想像上の動物は想像でどうとでもなるってやつ?」
竜「その通り」
彩姫「それにしてもさあ、これ。棺ってもっと……吸血鬼とかが入ってるみたいなゴシックなやつ想像してたんだけど」
竜「そういうのはもう少し時代が下ってからだ。それにそういう棺は実用性に欠ける」
彩姫「(ひとりごちて)棺の実用性についてちょっと認識がおかしいよね……」
竜「数百年も海中で移動するのには向いていない」
彩姫「それは棺の用途じゃないもん。(しげしげと)……海藻とかムラサキイガイだらけだね。だけど、このフォルム……これ、流体力学知ってる人が作ったんじゃない?! 昔の人もやるねえ!」
竜「ああ、私が設計した。開けやすいように、表層の生物由来石灰質を剝がそう」
SE:バリバリと貝やフジツボなどを剥がす音を流し続ける
彩姫「わあ、これ木?! よくこんな長い間もったねえ」
竜「金属は海水でぼろぼろになる。石材は重くて数百年も魔法じゃ動かせない。木材は浸水状態のとき、想像を超えた耐久性を発揮するんだ」
彩姫「これ、文化財になるよ! すごいねえ!」
竜「すごくない。人類は有史以前から経験則的流体力学に則って船を作っていたじゃないか」
彩姫「ほめ言葉は素直に受け取ってよ」
竜「……ああ、そうだ。よく言われたのに、忘れていた」
彩姫「誰に? 奥さんとか?」
竜「(寂しそうに)いや、母に」
彩姫「いいお母さんだったんだね」
竜「良くも悪くも、私を私にした女性だ」
彩姫「お母さんとも仲が悪かったの?」
竜「いや、悪くはなかった。ただ、お互いの世界にお互いしかいなかった。……母は私の時代では最も様々な知識を持っていた人間だった。知識こそが身を守り生きていく術になる、とひたすら私に自分の持つ知識を詰め込んでいった」
彩姫「教育ママってやつだね。それで、ジュストは歪まなかった?」
竜「歪んでいるように見えるか」
彩姫「よくわからない」
竜「自分の歪みは自分ではわからん。しかし、私は母の遺した知識で私は食いつなげたのだから感謝している。師としても、母としても敬愛している……が」
彩姫「どうしたのよ」
竜「サイキ・ニシザキを観察していて、母への感情は敬愛より、人としての共感の方へ若干シフトした気もする」
彩姫「どういうことよ」
竜「(無視して)さあ、剥がし終わったぞ。棺を開けてくれ」
彩姫「どうやって? ……って、なんか、ここだけ、金?!」
竜「そこが留め金になっているんだ。外してくれ」
彩姫「今更だけどさ……呪われたりしない?」
竜「絶対にない」
彩姫「開けた途端、虫がうじゃうじゃとかゾンビが襲い掛かってくるとか、中身が強烈にグロいとか臭いとか、そういうのあったりする?」
竜「ただ仮死状態のおっさんが寝てるだけだ。あとは、まあ……若いお嬢さんの怖がるようなものは入っていないと思う」
彩姫「じゃ……じゃあ、やるよ? よいしょっと、(力を込めて)……うっ……うーん……うーーーーー!!! はぁ、はぁ、は……ずれ……ない……!! 固いね、これ。純金じゃないみたい」
竜「その通り。しかしその辺の石ころでガンガンやれば壊れるだろう」
彩姫「文化財壊したらあとで怒られるんだからね! トロイア遺跡見つけたシュリーマンみたいに!」
竜「人の棺を勝手に文化財候補にしないでもらいたい。私がいいと言ったらいいんだ。ほら、この石なんか、君の手のサイズにぴったりで叩きやすそうだぞ。重さも最適だ」
彩姫「ほんとだ。っていうか、マジでやっていいんだね?! 今の時代の技術じゃ、たぶん元通りにできないよ?」
竜「(めんどくさそうに)そんなことは重々承知だ。思い切ってやってくれ」
(六)棺の中
SE:4回ほど石を金属に叩きつけて何かを壊す音
彩姫「あっ、この留め金、思いっきり曲がっちゃったんだけど?!」
竜「構わない、その調子だ。あと少し!」
SE:10回ほど石を金属に叩きつけて何かを壊す音、何かが金属のものが砂利の上にカランと落ちる音
彩姫「付け根のとこから外れちゃった。意外と簡単だね」
竜「その簡単なことが私にはできないようになってるんだ。さて、それさえ壊れればもう問題ない。私自身で開けられる」
SE:重いものが砂利の上にどすんと落ちる音、ふわっと光がこぼれるような音
竜「ああ、久しぶりだ。のんきによく寝ているな」
彩姫「(思わず声を潜めて)わあ……この人が、600年前に生きてたジュスト?」
竜「ああ。くたびれたおっさんだ」
彩姫「(まだ声を潜めて)めっちゃいい服着てない?」
竜「妻が式典用の服を着せてくれたようだ」
彩姫「痩せてるねえ。……へえ、こんな顔なんだ。神経質そう。ヨーロッパ人って感じ」
竜「半分は東洋の血が入っているんだぞ」
彩姫「ハーフだったの?」
竜「母が東洋の出だったからな」
彩姫「それでちょっとエキゾチックなんだ。長い黒髪でちょっとヴィラン気味だねえ」
竜「昔は見た目で悪魔の使いだのなんだの言うやつも多くてな。(嫌そうに)ヴィラン扱いされて、そのままヴィランとして生きた」
彩姫「ごめん、無神経だった」
竜「私も無神経な方らしいから、遺伝なのかもしれない。ははは」
彩姫「あ、体のまわりに一杯ゴミが入ってる。枯草……あっ、これ花じゃない?! 奥さん、たくさん花を入れてくれたんだね」
竜「……そうだな」
彩姫「ジュストは愛されてたんだ」
竜「非常に困ったやり方で愛されていたよ、まったく」
彩姫「でも枯草に混じって何か、……骨みたいなのが」
竜「……ああ、それが妻だ」
彩姫「……え、人の骨?」
竜「そうだ。こっちに頭骨がある」
彩姫「頭蓋骨?! 無理無理無理無理!! 怖い!」
竜「他人は怖がっていればそれでいいだろうが、私は今、妻を亡くした物証をこの目で初めて見ているところだ。少し黙ってくれないか」
彩姫「……ごめん……本当にごめん」
竜「当然死んでいるのは知っていたが、遺体をこうして前にするといろんな感慨がわくものだな……ああ、グウィネス……」
SE:翼を広げる音
彩姫「(独白して)ジュストが棺を抱きしめてる……あっ、ジュストが溶けてる?! ほんとに溶けてる!! 消えた!! どうしよう、真っ暗になっちゃった……」
彩姫「(こわごわと)ジュスト! どこ行っちゃったの?!(返事を待って)」
彩姫「ねえ! 私このあとどうすればいいの?!(返事を待って)」
彩姫「(少々パニックになりながら)こんなとこに置いていかないで!! 怖いじゃん!!」
SE:衣擦れの音
ジュスト「(ゆっくり起き上がる)うう……600年ぶりともなると体が軋む……よいしょ(立ち上がる)」
彩姫「きゃあああああああ!!!」
ジュスト「(ゆっくりと)ああ、人の体に戻っただけでこんなに姦かしましいとは」
彩姫「へっ? ジュスト? あなたがほんとにジュスト?」
ジュスト「何か不思議なことでも?」
彩姫「不思議だよ! めちゃくちゃ不思議だよ!!」
ジュスト「視野を奪われた人間はパニックに陥りやすい。とにかく灯りを点けるか」
SE:ふわっと明るくなるような効果音
ジュスト「ほら、これで見えるだろう」
彩姫「(キレながら)他人様をこんなとこに連れ出してるんだから、ちゃんと段取りは話してよ! 困るよ!……って、ジュストこんな顔だっけ?!」
ジュスト「さっき見ていたろうに」
彩姫「目を開けて表情筋動かすと随分印象が違う……なんかすごく……ノーブルで……イケメンじゃん」
ジュスト「イケメンかどうかは知らんが、一応王室付きのソルシエルだったんでね……ああ関節がぎしぎしする……」
彩姫「でも、なんだろう……なんかすごく親しみが持てる。直系は直系でもすごく遠い血縁で、もうほとんど他人なのに……なんか懐かしい気がする。ほら、その笑ったときの目の細め方とか」
ジュスト「(微笑んで)サイキ・ニシザキに似ているところはどこかしらあるはずだからな」
彩姫「そうかなあ? 代は遠ざかってるのに」
ジュスト「(しばらく黙ったあと)さて、もうあまり時間がない。私に話をさせてくれ」
彩姫「時間がないって? どういうこと?」
ジュスト「私の生物としてのタイムリミットがもうすぐそこだということだ」
彩姫「それって……」
ジュスト「私は消滅する」
彩姫「……じゃあ、……じゃあ、(悲鳴のように)棺なんか開けなきゃよかったじゃん! せっかく友達になれたのに!」
ジュスト「人間がもともとの寿命に加えて600年も地上に存在することが、自然だと思うか? 今まで不調をだましだまし生きてきて、やっともう終わりなんだ」
彩姫「でも、生きていたらいいことがたくさんあるじゃん! 体取り戻したら、いろんなこと話してくれるって言ったじゃん!」
ジュスト「(悲しそうに溜め息)ああ……」
彩姫「私もジュストに一杯教えてもらいたいことがあるし、教えてあげたいこともいっぱいだよ!」
ジュスト「(悲し気に)本当に、時間がないんだ……」
彩姫「ねえ、石に戻ればまたしばらくは生きられるんじゃないの?! 体から出て竜になって、その体ここに寝かして蓋しちゃえばいいんじゃないの?!」
ジュスト「一度開けて、戻ってしまえばアストラル体へは戻れない。そんな体力はもうないんだ」
彩姫「想像上の動物だから想像でどうとでもなるって言ったじゃん!」
ジュスト「私は想像上の動物ではない。特技が突出しすぎただけの、ただの人間だ。さて、契約を遂行させてもらう」
彩姫「契約って何?! ……あっ」
ジュスト「これから見ることと話すことは忘れないでいてほしい」
SE:棺の砕ける音
彩姫「えっ……棺、割れちゃった?! ばらばらになっちゃった! どうすんの! どうすんのよ!!」
ジュスト「どうもしない。もう使うこともない。さて、私の奥方に会ってもらおう」
SE:何かが生まれるようなきらきらした音、衣擦れの音
彩姫「えっ?! これ……奥さんの骨から……えっ……なんか……誰か起き上がったよ?!」
ジュスト「彼女の残留思念と私の記憶を同期させて、立体映像を出している」
彩姫「半分はジュストがやってるってこと?」
ジュスト「その通り」
彩姫「じゃあこわくないってこと? 大丈夫ってことだよね?!」
ジュスト「何かしてくるかもしれんがまあホログラム程度に思っていればいい。ついでに副音声で日本語吹き替えという大サービスだ」
彩姫「あっ、立った!」
ジュスト「紹介しよう、これが私の妻、グウィネスだ」
グウィネス「(ゆらりと立ち上がって目を開けておずおずと、ゆっくり)……あなた……」
ジュスト「(懐かしそうに)久しぶりに顔を合わせたな」
グウィネス「(懐かしそうに、少し面映ゆそうに)ええ、生きて動いているあなたにはね」
ジュスト「(少し笑う)」
彩姫「(空気を読まず、小声で)ねえジュスト……ジュストの奥さん、男の子なの? すごくきれいな子だね」
ジュスト「いや、普通に小柄な女性だ」
ジュスト「なんで髪も服も、お小姓さんみたいな風にしてるの? 昔のキリスト教圏って、異性のカッコするのは厳しく禁止されてたんでしょ」
ジュスト「事情があって彼女は女であることを嫌っているんだ」
グウィネス「なあんだ。BLじゃないんだ」
ジュスト「人の妻に下衆なことを言うな。彼女は王族の出だ」
彩姫「ジュスト、逆玉じゃん! すごい! でもさ、これってジュストが作ったホログラムなんでしょ? この会話って一人芝居してるってことなんじゃないの?」
ジュスト「(ため息をついて)久しぶりの夫婦の会話を邪魔すると妻に呪われるぞ」
(七)予言
グウィネス「あなた、この子は誰? さっきから何を言っているの?」
ジュスト「ああ、紹介しよう。サイキ・ニシザキだ」
グウィネス「サイキ……ではこの方が……(ひざまずこうとする)」
彩姫「(びっくりしつつ恐縮して)あっ、あっ、頭を上げてください……えっと、初めまして。私、サイキ・ニシザキです。えっと、あの、お会いできて光栄です。あの、うちは代々ジュスト入りの石を預かってて、えっと、棺の封印を壊してくれって言われて、それで、えっと、ため口でいいですよ。あ、日本にようこそ(テンパった状態のアドリブでずっとしゃべり続け、音量を徐々に下げる)」
グウィネス「(彩姫の台詞が流れ続ける中、ジュストへ向かって訝しそうに)あなた……」
ジュスト「何だ」
グウィネス「あなたから聞いていた女性の印象とこの方はだいぶ違うのだけど……」
ジュスト「君の言いたいことは骨身にしみてよくわかる。だが、彼女だ。確かなんだ。顔も、バイオメトリクス的特徴も、本人が話していた生育歴もすべて合致する……性格と知性以外は」
グウィネス「知性? それは致命的ではないの?」
ジュスト「これからの成長に乞うご期待、だ。本人には間違いないのだから」
グウィネス「あなたが言うなら、わたしはそれでいい(頷く)」
彩姫「(前の台詞からここまでアドリブでつなぎ、音量を徐々に戻す)えっと、それで、私、ジュストと……あっ、ジュストさんとグウィネスさんの子孫だってジュストが、いや、ジュストさんが言ってて、それで、ご先祖様にお会いできてうれしいです、ほんとに」
グウィネス「子孫……?」
彩姫「ジュスト……さんからそう聞きました」
グウィネス「……子孫……わたしと、このひとの?」
ジュスト「ああ、そうだ」
グウィネス「ふふ、そう、……そうなのね……ふふ、ふふふ、あははは」
彩姫「(グウィネスの笑い声と重ねて)どうしたの? 何がおかしいの?」
ジュスト「(苦々し気に)……我が奥方は喜んでいるんだ」
彩姫「どうして」
グウィネス「わたしは、彼に乞われ何もかも与えてこの長い時を生き永らえさせた。彼にはどうしても叶えたい望みがあるの。でもわたしは、その成就を望んではいない」
ジュスト「……グウィネス、黙ってくれ」
グウィネス「いいえ、黙らない。愛した人と、愛した人との間の子どもたちすべてのために、わたしはあなたがやろうとしていることを肯がえんずることはできない。なのに、わたしの命を差し出してまであなたの願いを聞き入れようとしたのは、ただ愛していたから」
ジュスト「……すまない」
グウィネス「でも……ふふっ……わたしたちの血筋からこの方が生まれたのなら、ジュスト、あなたの負けではないの?」
ジュスト「ここまで来てしまったんだ。もう戻れない。そして私は後悔もしない」
彩姫「何のこと?」
ジュスト「(しばらく考えてから改まって)サイキ・ニシザキ」
彩姫「なに?」
ジュスト「(髪をかき上げ俯いて)私のうなじを見てほしい。東洋医学で風池ふうちと呼ばれるあたりだ」
彩姫「風池って……あっ」
ジュスト「何が見える」
彩姫「マークが……イメージドナーマークが……ううん、ちょっと違う……ほんのちょっと違う……(動揺して)なにこれ! どういうことなの?!」
ジュスト「現在のイメージドナーのうなじには渦のマークがあるだろう。ナノマシンファージの保有者を示すマークが」
彩姫「……うん」
ジュスト「サイキ・ニシザキ。先ほど、脳の中のイメージを具象化し物質化にするプロジェクトのことを話していただろう。いつか実現されたら私のようにイメージから生まれたクリーチャーを操れるようになるかもしれないと」
彩姫「うん……」
ジュスト「私のこのマークはこれから5年後開発されるZOIDと呼ばれるシステム構築用のファージを保有しているしるしだ」
彩姫「は? なんで? 時系列がおかしいよ! 600年前の人間がなんで?!」
ジュスト「これは、現在までのナノマシンとは完全に違うシステムだ。より人体に親和性の高い細胞小器官オルガネラとして海馬部分にまで入り込み、すべての思考・感覚・生理機能を同期した立体を一定条件下で出現させられる」
彩姫「それって……私の論文読んだの?! 読んだんでしょう?! そして話をでっち上げたんでしょ?!」
ジュスト「読んだ。しかし、読む前から知っていた」
彩姫「何を言ってるかさっぱりわからないよ!」
ジュスト「このZOIDファージの欠点は、保有者の第一世代の長子の脳にまで侵入し、自然増殖することだった。通常、倫理上と医学的見地から成人しかドナーになれないんだったな? もし胎児のころから汚染されたらどうなるんだろうな」
彩姫「どういうこと……」
ジュスト「サイキ・ニシザキ。私がその胎児だったんだ」
彩姫「(動揺して)え、だって、そんな……ありえない!! あなたは600年前に生きていた人なんでしょ?!」
ジュスト「ああ、私は600年前に生きていた。しかし、私の母はそうではなかった」
彩姫「は?」
ジュスト「私の母は遠い東洋の国で、ZOIDの開発に携わっていた。そして自分の身を実験に使い、何が起こったのかはよくわからないが時を逆行して……私が生まれる数年前に私が生きた中世ヨーロッパへ姿を現した」
彩姫「それって、タイムスリップってやつじゃ……机上の空論でしかないはずなのに」
ジュスト「母本人も、なぜそうなったのかはわからないと言っていた。さて、サイキ・ニシザキ。私の体のことはさておき、君にこれから起きることを予告、いや、予言してもいいだろうか」
彩姫「……まさか……まさか」
ジュスト「君は生きながら時空を超えて中世ヨーロッパへと飛ばされる。肌の色と顔の造りが違うということで奴隷にされたあと、そこでもソルシエルや予見者たちに実験動物扱いされる。そして品性下劣な貴族の妾になったあと男子を一人生む」
彩姫「……どうして……どういうことなの? 私がなんで?!」
ジュスト「いつか君は人を殺すだろう。一人息子を守るために」
(八)円環の子どもたち
彩姫「……なんで……なんでよ……うそでしょ……」
ジュスト「こんな未来は嫌だろう?」
彩姫「……うん」
ジュスト「では、解決策を提示しよう。実に簡単なことだ。ZOIDの開発企業への就職を蹴るだけでいい」
彩姫「……でも……でも、子どものころからの夢で……」
ジュスト「もっと人と接する、温かみのある仕事に就くほうが向いていると思うし、きっと幸せになれる」
彩姫「……本当に?」
ジュスト「ああ。未来は見えんが、きっとそうなる。君の優しい両親を悲しませるな」
彩姫「(逡巡して)……ん……んー……」
(間。海の音だけが響く)
グウィネス「(ゆっくりと)ねえ、わたしにもいいたいことがあるのだけど」
ジュスト「(すげなく)黙っていてくれ」
グウィネス「あなたは噓もつくし目的のためならどんな卑怯な手も使うひと。今もそう。自分のいいように話を持っていこうとしている」
ジュスト「やめてくれ」
グウィネス「(ジュストを無視して)サイキ・ニシザキ。あなたの辿る道をわたしは知らない。わたしが彼と出会ったころにはあなたはもういなかった」
彩姫「……私、帰れたってこと? この時代に帰ったってこと? そうなの?」
グウィネス「いいえ、あなたは一人息子に看取られてこの世を去った。そうでしょ、ジュスト」
ジュスト「(無言で下を向く)……」
グウィネス「彼はね、誤解されやすいけれど優しいひと。子供好きで、生き物が好きで、虐げられている人を無視できないひとだった。そして優しさを遂行するには力が必要だということを私に教えてくれたひと。わたしは彼ほど優しい人を知らない」
彩姫「(ショックから復帰できないまま)……だから……だから何なの」
グウィネス「わたしたちには子どもたちがいて、彼は本当に可愛がっていた。いつでも代わりに死ねるというくらいに。きっと彼のお母上もそうだったんでしょうね。……ねえ、あなたはもうわかっているんでしょう?」
彩姫「なにを?」
ジュスト「……やめろ……やめてくれ」
グウィネス「いいえ、やめない。あなたはこれを伝えるために長い時を超えてきたのに、彼女の前では腰が引けてしまうのね。だからわたしが彼女にすべて伝える。(彩姫に向き直って)……サイキ・ニシザキ。あなたは私たちの世へやってきて、ジュストを生むの」
彩姫「(間を置いた後、苦しんでいるように。水の滴のようにぽつぽつと)……うん、話の流れで、そう理解せざるを得なかったよ。……だけど理解したくなかった。絶対違うってどこかで思ってた……グウィネスさんがはっきり言うまでは」
グウィネス「わかっていただけると思うのだけど、あなたが彼の言うことに従えば、彼は生まれない。彼はわたしと出会わず子を成すこともない」
彩姫「……ジュストが……生まれない」
グウィネス「ジュストだけではなく、わたしたちの子孫すべてが消える。もちろんあなたも」
彩姫「(息をのむ)」
グウィネス「彼はこれを伏せたままあなたに決断させようとしていたの」
ジュスト「伏せていたわけじゃない。誰にでもわかることだ」
グウィネス「でも明言は避けた。正義という名を持ちながら、彼があなたにそれを知らせないのは正義に悖もとる」
ジュスト「ああ……グウィネス……」
グウィネス「彼は、あなたという彼の起点を消滅させようと足搔いて、今まで生きながらえてきたの。そうすれば、あなたは苦しまない。彼が街を破壊し多くの人を殺すこともない。だけど、あなたはわたしたちの血筋。彼の血脈はただ未来へ流れる直線ではなく円環を描いていたの。それは最大の誤算だった」
(間)
彩姫「ねえ、ジュスト。あなたが私にさせようとしていることは、あなたの総ての子孫を犠牲にしてもやる価値があるの?」
ジュスト「私はあると信じている」
彩姫「なぜ?」
ジュスト「ずっと……ずっと苦しかった。人を愛する幸せ、子が生まれて健やかに育つ喜びを感じるたびに恐ろしかった。私が命を奪った人々にもこういう幸せがあったのだと。本来存在しないはずの人間が、正当に存在している人間の命と、そこから生まれてくる数多あまたの命が生まれてくる機会を奪ってしまったことが、ただ苦しかった」
グウィネス「わたしには理解できない。あなたはわたしたちの子が大事ではないの? 命の軽重を決めるのは相対的なものではないの?」
ジュスト「最初から存在しないということになれば、命の軽重など問題にならない」
彩姫「(間をおいてじっくり考えたあと)……ジュスト……あなた、めちゃくちゃ残酷なことさらっと言ったね」
ジュスト「……」
彩姫「(震える声で)……私の父さんか母さんのどっちかも、どっちか側のいとこも、おじさんおばさんも、おじいちゃんおばあちゃんも、みーんな消えるんだ。みーんな、みーんな……笑ったり泣いたりして、幸せだった私たちが、みーんな……それをそんな風に、ジュストは言うんだ」
ジュスト「……すまない」
彩姫「……(震える声で、気丈にふざけて)そんな子に育てた覚えはありません!……なーんてね、ふふ」
ジュスト「(悲し気に)ああ……」
彩姫「(泣きそうに小さく笑って)うふふ……ふ……(徐々に静かな嗚咽へ。へたりこんで泣き出し、徐々に声を上げて号泣しながら)なんなの、もう……本当に……何なの……今朝まで、普通の一日だったのに……なんでたった一日でこうなっちゃうの……ひどいよ、たった一日でさ(そのまま号泣し続ける)」
ジュスト「(彩姫の泣き声に重ねて)サイキ・ニシザキが私の血を引いていなければどんなによかったか……未来の血族がすべて消滅しても、母がこの世界に留まり幸せに人生を全うできたらまだ私は救われたのに」
グウィネス「ではわたしはどうなるの? あなたがわたしを救ったことはどうでもいいの? あの世界で私はあのまま生きていればよかったの?」
ジュスト「……」
グウィネス「(哀願して)サイキ、お願い。このひとを存在させて。このひとがいなかったらわたしは生きていられなかった。このひとはわたしの世界の総てなの。お願いだからどうか……」
ジュスト「グウィネス、君は600年後においても私の邪魔ばかりするんだな」
グウィネス「わたしは邪魔していない。相手に重要なことを言わないままで決断を急がせるのは詐欺師の手口。わたしにそう教えたのはあなた」
彩姫「(まだ嗚咽しながら)私、消えたくないよ……消えたくないよ……嫌なこともちょっとはあったけどさ……生まれてよかったと思ってる……幸せだったと思ってるもん……」
(九)はじまりと終わり
ジュスト「大丈夫、君にはまだ、考える時間はある……君は入社して非合法すれすれの……ほとんど洗脳と言っていい教育を受け、ドナーになる。そこから先は、君は機械のようになっていく。生まれなければよかったと嘆く、苦痛の人生の始まりだ」
グウィネス「あなた……この期に及んでまだ足搔くの」
ジュスト「そのために私はここにいるんだ」
グウィネス「ふふふふふ……あはははははは。ああ、可笑しい。(笑いながら)あなたが彼女に予言を伝えてもなおここにいるということ自体、彼女の選択の結果ではないの?」
ジュスト「くっ……」
グウィネス「(とげとげしく)わたしはあなたを愛している。あなたに連なる子どもたちを愛している。だからとてもうれしい」
ジュスト「私が子どもたちを愛していなかったとでもいうのか。私が苦しまなかったとでも……」
グウィネス「(ジュストの台詞に少し被せて)あなたが苦しんだのは知っているけれど、他人の子とわたしたちの子の命を天秤にかけたのは事実」
SE:たっぷりの間をとって波の音だけを流し続ける
ジュスト「(遠く海の向こうを見て苦し気に)ああ、夜が明ける……」
グウィネス「ええ」
ジュスト「……旅路の終わりだ」
グウィネス「(ジュストに寄り添って)……あなた、もう行かなければ」
彩姫「え……行くって?」
ジュスト「私はもうもたない。この体は一度日光を浴びれば崩れる。とにかく、しなければならなかったことは総て終わった。あとは我が母がどうするかだ」
(間)
彩姫「(まだ泣きながら)……ジュスト」
ジュスト「ん」
彩姫「あなたは……お母さんを愛してた?」
ジュスト「ああ。愛しているとも」
彩姫「私が……どんな選択をしても?」
ジュスト「……何があっても、我が母への敬愛は変わらない」
彩姫「……グウィネスさん……ジュストはあなたを幸せにした?」
グウィネス「ええ。わたしはどんなことがあっても、この人のそばにいられたら幸せで……それだけでよかった」
彩姫「(涙を零して少し笑う)まだ……全然覚悟はできてないけど……まだ少しでも猶予があるなら……精一杯考えてみる。私の答えが、今ここにいるあなたたちの存在でわかってしまっているとしても……600年も私を待ったことが無駄にならないように……一生懸命考えてみる」
(何かを悼むような間)
グウィネス「太陽が昇る……さあ、ジュスト、お別れを」
SE:何かが崩れ解け始める音
彩姫「あ……ジュスト、体が! ……体が崩れて……消えてく……!」
SE:ここ以降、少しずつジュストの声に、徐々にグウィネスにかけている効果をかけていく
ジュスト「時を超えたものの死に様なんてこういうものだ」
彩姫「じゃあ、私もそういう風に死ぬんだ」
ジュスト「(間をおいて何か言おうとしてやめて、ただ一言)……あなたは賢母であった」
彩姫「……あなたが私の子どもっていうのまだ実感がわかないけど、あなたが何だかかわいく思えるっていうのは、きっと(ちょっと鼻を啜って)……きっとこういうことだったんだね」
ジュスト「……グウィネス、一つ最後に、本当に最後に許しをもらいたいことがある。君の前だが、私はこの妙齢の女性を……」
グウィネス「わかってる。いいよ」
SE:ふらつきながら砂利を踏む足音
ジュスト「(消えようとする体でふらふらと彩姫に近づき、抱きしめて)……母上」
彩姫「(息をのむ)」
ジュスト「……あなたが生まれたころから、本当にこれが我が母かと思いながら見てきたが……まさしくあなたは母であった。(万感の思いを込めて)母上、どうか……どうかお健やかに」
SE:一気に解け崩れてしまう音とグウィネス登場時のキラキラ音を半ば重ねて
グウィネス「(SEに溶けるように、恭しく)ジュストをわたしの世に生んでくださってありがとう、母上様」
SE:前SEが消え、波の音だけがしばらく響く
彩姫「日が昇っちゃった……(間をたっぷりとって)いつでも、どこでも、太陽は昇るんだ……きっと600年前の世界にも」
SE:ふらふらと砂利を踏みしめて、ゆっくりよろめきながら歩き去る音
彩姫「ああ、このまま帰って寝て、起きたら、きっと夢になってる……きっと……でも……私、勉強しなきゃ……この世界でわかってること……全部伝えられるように……頑張ってちゃんと育てて……でも、やっぱりきっと……夢で……夢であってよ……お願い……お願いだから……」
SE:ここ以降ジュストとグウィンの台詞には効果なし
ジュスト「あんな、まだ覚悟も何もできていない子どもに酷なことを畳みかけてしまった……」
グウィネス「母上様をいじめて楽しかった?」
ジュスト「いじめていない。幸せになってほしかっただけだ」
グウィネス「あの方が私たちの血筋から出た以上、もうどう転んでも無理。でしょう? ふふ……今だって、まだあなたの魂は消滅していない。ということはつまり、あなたの負け」
ジュスト「君は、私をいじめて楽しいのか」
グウィネス「あなたがそばにいるなら何でも楽しい」
ジュスト「ああ、言葉が通じないところも600年間変わらないな」
グウィネス「棺の中でずっと海に沈んでいた私に、変われる要素があると思うの?」
ジュスト「ない」
グウィネス「あなたの600年はどうだったの」
ジュスト「喜んで悲しんで、祈って儚はかなんで、という調子だ。子どもたちの悲喜交々ひきこもごもを見ているのがつらかった」
グウィネス「そう」
ジュスト「でも……グウィネス」
グウィネス「なに?」
ジュスト「600年も私のわがままにつきあってくれてありがとう」
グウィネス「……あなたのわがままは出会ったころからだから」
ジュスト「君がいなかったら多分狂って、ただのバケモノになっていた」
グウィネス「わたしは役に立った?」
ジュスト「ああ、もちろん。やっぱり私は、君を愛しているんだと思い知った」
グウィネス「……その言葉がずっと欲しかった」
ジュスト「(泣きそうに、精一杯泣くのをこらえているようにため息をついてから)グウィネス……長い時を無駄にしたこのダメ男を慰めてくれないか」
グウィネス「(愛を込めて抱きしめ)ええ、もちろん」
ジュスト「(ハグのあと少し涙声で)……では、行こうか」
グウィン「(ほほえんで)ええ」
――終劇。