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犬神 ――セルマクシセタ

*登場人物

女・・・30代くらいの女性。優しそうだが決然とした雰囲気。リバーブなどで、なにか違和感を出してください。

男・・・20代後半の男性。普通。作らない素っぽい声希望。


 

*注意事項

この作品のジャンル・・・ホラー伝奇風エブリデイマジック

BGMは使用OKですが、できるだけ多用しない方向、SE重視で。

方言改変OK、ただし雪の降らない・少ない地方の方言は不可

登場人物「男」のみ、女性への性別変更とそれに伴う言い回しの変更可

セルマクシセタのアクセントはほぼ平板ならOK。こだわりたい場合は微弱な強勢がマと二番目のセにあり、ㇱは弱め。また、「セタ」という部分は心持ち「セーター」のように伸ばす


 

以下本文

 

SE:吹雪の音を最後までずっと流す。チェーンを装着し雪の中を進む車の音、忙しく動くワイパー音

 

女「ここは右」

 

男「そっちは橋があるってカーナビに出てるけど」

 

女「渡って」

 

男「怖いよ。こんな夜中に知らない山ん中の橋とか」

 

女「大丈夫よ。ちゃんと前見て、しっかりハンドル握って」

 

男「……やだなあ、もう」

 

 

男「どんどん山奥に入っていってない?」

 

女「それでいいの」

 

男「どこに行こうとしてるんだよ。引き返さんと死ぬぞ、マジで」

 

女「行けばわかるわ」

 

男「無責任なこと言うなよ。見えないのかよ、この雪が! 道路も凍結しまくってるだろうが! 俺、こんなとこで死にたくないんだよ」

 

女「黙って運転して」

 

男「そもそもあんた誰だよ! 何で俺の車に乗ってんだよ! ずっと一人で運転してたのに、いつ乗ったんだよ!」

 

女「とにかく私の言うとおりにして。私の言う通りにしないなら、帰さない」

 

男「どういう意味だよ」

 

女「そのままの意味よ」

 

男「(ぼやいて)なんなんだよ」

 

女「私はさいごのお願いを聞いてほしかった。ただそれだけなの」

 

男「あんた、何言ってんの」

 

女「(間をおいて)ちょっと聞きたいことがあるの。お喋りすると気が紛れるかもしれないわ」

 

男「全然気なんか紛れないよ……」

 

女「ねえ、あなたはどういうところに住んでるの」

 

男「(若干不機嫌に、やれやれと言った感じで)俺んち? 俺んちは〇〇で、戸建てに父ちゃんと母ちゃんと弟とで住んでる」(※〇〇には適当な架空の地名を入れること)

 

女「みんないつも家にいるの?」

 

男「親父と俺は普通にサラリーマンで、弟は大学生だからさ、日中は家にいないな。母ちゃんは家にいるよ」

 

女「何か人間以外の生きものはいる?」

 

男「ペットってこと? うーん、メダカを庭で飼ってるくらいかな。犬が一昨年までいたんだけど年取って死んだんだ。家族にしかなつかないやさぐれた犬だったけど、いいやつだったよ。昔はよく一緒に走り回って遊んだなあ。俺、子どもの頃、犬の言葉がわかるって言い張ってたんだってさ。覚えてないけどな」

 

女「(合点がいったように)そう、それで……」

 

男「それでって?」

 

女「(少し考えこんだ後、確認するように)ねえ、あなたも、あなたの家族も生きものは嫌いではないのね?」

 

男「うん、まあ」

 

女「意地悪したり捨てたりはしないのね?」

 

男「飼ってる動物を捨てるのは外道だろ」

 

女「(間を置いた後、ぽつりと寂しそうに)そうね。……あ、そこは右。もうすぐ着くわ。この近くなの」

 

 

女「……ここで停めて」

 

男「ここで停めたら対向車が離合できないし……」

 

女「こんな夜、こんな雪の中、こんなところに向こうから車が来るなんて、ないと思うわ」

 

SE:停車する音

 

男「(間をおいて、怯えているように)……あのさ」

 

女「なに」

 

男「さっきから、なんか、変なにおいがするんだけど」

 

女「変なにおい?」

 

男「なんか……動物の匂いって言うか、獣臭いって言うか……でもそれだけじゃなくて……鉄錆の匂いって言うか、もっと生々しい感じで」

 

女「(男の言葉に被せて)血の匂い、って言いたいの?」

 

男「うん……たぶん」

 

SE:ぽたっ、ぽたっとまばらに液体の垂れる音。

 

男「(助手席の女を見て息をのんで)あ……あんた……血が……えっ」

 

女「気にしないで」

 

男「あんた、顔が、半分……」

 

女「それがどうしたの」

 

男「あ、あああ、あああ」

 

女「落ち着いて。意識を向けるからそう見えるだけよ」

 

男「あんた、痛いとか、苦しいとか、ないのか! 何で平然としてんだよ!」

 

女「そういうのはもう終わったの。さあ、早く降りて」

 

男「(怯えて)……い、いやだ」

 

女「いいえ、降りてもらうわ。さあ、そこのライトを持って」

 

SE:シートベルトを外す音。車のドアの音。エンジンをかけたままの車を降りる音

 

女「ついてきて」

 

男「いやだ」

 

女「私の言う通りにしなかったら、帰さないって言ったわよね」

 

男「……うぅ……あんた、俺をどうするつもりなんだ」

 

女「無事に返してあげたいとは思うわ」

 

SE:雪上を歩く音

 

女「ここよ」

 

男「えっ」

 

女「この、岩陰の、枯れ枝が引っかかって雪が吹き込まないようになっているところ。手で触ってみて。私は触れられないから」

 

男「そうすれば、俺、助かるのか」

 

女「かもしれないわね」

 

SE:藪をガサゴソする音

 

男「あっ……なんかいる……こわっ」

 

女「怖くないから、引っ張り出して」

 

男「えっ? これって」

 

SE:弱々しい仔犬の鼻声をわずかに

 

男「仔犬? 一匹?」

 

女「ええ。他はみんな死んで生まれたわ」

 

男「もう声が出ないんだな。かなり弱ってる」

 

女「懐へ入れて温めてやって。連れて帰って、育てて。お願い」

 

男「……あんた、こいつのために俺をこんなとこに連れてきたのか」

 

女「そうよ。さあ、雪で見えないでしょ、車はこっちよ」

 

SE:車へ向かって雪上を歩く音

 

男「(SEに被せて)……あんた、こいつの飼い主かなんかだったのか」

 

女「私はこの子の母親よ」

 

男「(一息置いて、呟くように)人間だと思ってた」

 

女「あなたのような人がたまたま通ってよかったわ。(間をおいて、悲し気に)私ね、ずっとご飯ももらえなかったし、よく殴ったり蹴ったりされていたわ。お腹に仔犬がいるってわかったらとうとうこの山に捨てられたの」

 

男「……あんたは、どこにいるんだ」

 

女「そこのガードレールの崖下よ。お腹が空いて、車の窓から投げ捨てられたごみを漁ろうとして、ちょっとだけこの子のそばを離れたの。そのときに車にはねられて落ちて、見ての通りよ」

 

男「……ああ……本当に、何て言ったらいいか」

 

女「もし、私があなたと出会わなければ、私もこの子も死ぬしかなかった。だから私は幸運だと思っているわ。さあ、早く行って、この子を助けて」

 

SE:車のドアの音。シートベルト装着音。チェーンの付いた車が動き出す音。

 

女「(車外、風に混じる声で小さく)ありがとう」

 

男「あっ……」

 

SE:車走行音、吹雪音フェイドアウト。

 

若干不気味さを感じさせる長めの間

 

男「(以下、独白。厳かに)生きている間、人間に理不尽に苦しめられ、死後も恨みを忘れぬよう踏みつけられ続けた犬は、犬神になるという」

 

少し考えこむような間

 

男「あのとき、俺にははっきり見えた。乳房を垂れ下がらせた血塗れの犬が、俺の車を先導するように走っているのを。……確かに見たんだ、その痩せた犬が走っていくと、まるでモーゼの海割りみたいに、白い闇に道が開かれていくのを」

 

――終劇。

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